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不在

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しかしせっかく関東圏に住んでいるので、新刊古本巡りならまずは神保町や中央線沿いに行くべきかもしれぬ……。

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滋賀県大津市と京都めっちゃ近い。

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京都。外国からの観光客も多くホテルの需要は無限にありそうなので、もしも行くなら近隣県に宿を取った方がいいのかも。

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京都へ読書・購書旅行に行きたい。一人でホテル泊まるとお金かかりすぎるんだよなあ。

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あたまいたし。

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疲れきりんぐ。

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その「狂っちゃった奥さん」というもやもやした像も、武田百合子の随筆に「わが友 島尾ミホさん」として登場し、私の中で人間になった。さらに言うと島尾ミホは2007年まで存命だった。庄野潤三の随筆には井伏鱒二も「井伏さん」として出てくる。内田百閒は「漱石先生」について書く。文豪も、小説の登場人物のモデルの人も、みんな実際に人間だった。

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作家の随筆は楽しいな。「島尾敏雄というと『死の棘』の人でしょ(読んだことはない)、奥さんが狂っちゃった人でしょ」と思っていたら、庄野潤三の随筆に島尾敏雄が出てきてもやもやした雲のような「作家」という像から急に本物の人間になったような感じがする。

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しかし、近代文学現代文学という線引きは、あと百年二百年したらどうするんだろう。(とは百年前の人も思っていたのか?)

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数ヶ月前に思い立って『戦後短篇小説再発見』の全巻揃いを買ってしまったのが積んであった。全巻読破でも目指すか?

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まあ、あとはいろいろ、言葉を連ねてもいいのだけども、何のプロフェッショナルでもない私が趣味で好きな本を読むことを誰に弁解する必要があるというのか。くだらない。

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本当は現代の文学にも目を向けないといけないかなとちょっと思う。でも正直言って、小説の中でまで現代社会の問題なんか見たくない。そういう問題があること自体から目を背けたいわけではないし、「昔はよかった」なんてちっとも思わないが……。

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しかしいよいよ純文学にも食指を動かしてしまうと恐ろしいことになる。古書店のいかにも古書らしい古書までもが購入対象になってしまう。

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長編小説は読み通せる気がしないが、短編小説なら「どうなるんだ、どうなるんだ」と思っているうちに結末が来るので、純文学でも読むことができるとわかった。

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純文学、という言い方も今どき良くない気がするが、エンタメ的小説(大衆小説)と比べて呼ぶのに他に適当な名前を知らない。純文学=私小説でもないし。

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『心霊スポット考』と戦前〜戦後純文学の間を反復横跳びするように読書している。

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ウェブ広告に「永遠に漫画広告は表示しないでください」ボタンが欲しい。

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幼児特有のキャーという甲高い叫び声を聞いて、なんで子供はキャーキャーと高い声を張り上げるのだろうと思った。なんで、というのは迷惑とかやめてほしいという意味ではなく、単純に、なんでだろうという意味。声を出す能力が発達してきたので、思い切り出したくなるのだろうか。

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大きな本屋のカメラ操作本コーナーに、堂々とX-E4入門書が面陳されていた。本体がもうディスコンなのよねぇ……。ディスコンじゃなかったら買ったかもしれない。富士フイルムは独自路線でスナップ写真愛好家にファンが多い印象なんだけども、どこへ向かうのかな……。

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映像だけ見せて今日は8月と言ったら誰でも信じそうな、日差し、気温、行き交う人々の暑そうな顔だった。