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不在

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そういったことは、みすず書房の『あなたが消された未来』を読んでから考えるようになった。自殺と安楽死についての本ではないが。知性ある人々の善意と、そしてバイオテクノロジービジネスによって、障害者を「生まれてくる前に消す」ことが推し進められている現代。それは今生きている障害者の人々を暗に「消されるべき存在」として扱うことでもある。

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死にたい人のための安楽死施設(?)があったら利用したと思うが、現実には、「そういうものがあってほしい」とは言えないし思ってもいない。私自身は、自分は生きていてもしょうがなく死ぬしかないという考えだが、死にたい人に「じゃあ死にましょうね」と言う社会は歪んでいる。人間社会は「死なないで」というメッセージを発するものでなければならない、絶対に。「死にたい人が死ねるようにしてあげるのは問題ないでしょ」というのは一種の綺麗事で、実際には問題ないわけがない。死にたい人が死ねる制度/施設を作ってあげる、つまり死にたい人を放り捨てることを是とする社会は、生きたい人にとっても生きづらいものであるだろう。最悪の場合、その社会は生きたい人を死に向かわせることさえ是とするだろう(例えば「社会の役に立たない」ような人に対して)。
しかし、現実の日本社会が弱者に厳しく、一度レールから外れたらほぼ人生終わりという構造になっている以上、「生きることをサポートできないんだったら死にたい人が簡単に死ねるようにしてくださいよ」という声にも一定の説得力を感じてしまう。

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もう死ぬしかないんだよなあ。

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数日後か数年後数十年後かの違いだけで、今現在の私たちが「なんだか風が出てきたようですな。」を生きているんだな。

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まさにその通りの本があったのでとりあえず注文してみた。

「消えたい」「もう終わりにしたい」あなたへ | 水島広子, 細川貂々 |本 | 通販 | Amazon
https://www.amazon.co.jp/dp/4314011947

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そろそろ限界かもと思って近場の精神科を調べたが、どこも初診予約は当分無理ですみたいなことが書いてあって、無理だった。今すぐ死ぬほどではない以上、気分よく過ごしておくに越したことはないが、早く終わりにしたい気もする。

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死について考える。しかし私が考えている間にも別に死にたくないのに急に死んでしまう人がいる。人生ってなんだろう。

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早くサイレントヒル2の続報が出てくれないとPS5売りたくなりそう。ディアブロ4のPS5版を買ってしまう手はあるにはある。

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2000万画素クラスのカメラでも遠方を拡大するとなんとなく「あ、こんな感じの顔の人が歩いてる」ぐらいはわかる。1億画素クラス(GFX100とか)になるとどうなっちゃうんだろう……。

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にょろにょろポン。

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μ’sのラブライブが映画版で終わった時(終わったはず)、「ああこれで彼女たちのスクールアイドルも終わりなんだ」と寂しくなりつつ「でも終わりってことはみんなの時間が進むから、のんたんとえりちは今後一生幸せに二人で暮らすってことだね!」とハッピーな気持ちにもなったものだが、スクフェス2ではラブライブ各作品の年代のズレ? みたいなものはどう処理されたんだろう。調べるほど気になるわけでもない。

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ちょっと前に「趣味に対する断捨離」みたいなことをしてアイマス情報も最近全く触れてなかったんだけども、二次元アイドルソングってやっぱり元気出るなぁと思い出したりした(その時音楽プレイヤーが手元になかったので聞く代わりに思い出していた)。ラブライブもμ’sしか知らんがいい歌がたくさんあったなぁ。スクフェスは2に移行したのね。二次元ではないアイドルについては触れたことがなく何も言う資格がない。

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藤子・F・不二雄異色短編集に収録された短編は全て美しい。美しいものを鑑賞するのは本当に心躍ることだ。

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「箱舟はいっぱい」はたった16ページの短編なのに無理なく無駄なく二段オチが仕込まれていて、なおかつぞっとする余韻を残す終わり方をしているのが本当にすごい。二段オチを提示して見せるだけではなく、「主人公=箱舟騒動に右往左往させられる市民(およびその一家)」と、「主人公の隣人=主人公とは反対の形で箱舟騒動に騙される市民」というキャラクターが自然と感情移入できる形で描かれている。だからあのラストの怖さに凄みが加わるわけだ。畳む

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「箱舟はいっぱい」のラストといえば、主人公の子供の「バイバーイ!」に「バイバイ。」と笑顔で返す主人公の友人もどう解釈するか人によって違いそう。彼は主人公たち一家が死を逃れえないことを知っているのだから相当薄情に見えるが、直前のコマでは主人公の無邪気な「きみんとこも遠足?」の問いに対して汗を垂らしながら「あ、ああ せがまれちゃってね。」と答えている。この動揺が後ろめたさの表れであるならば、その後の「バイバイ。」も見かけほど薄情ではないのかもしれない(またこのコマがうまい具合に小さくて、彼の表情のディテールが読者には確認しようがない)。反対に、彼の動揺が単に不意を突かれたことによるものならば、「バイバイ。」は箱舟に乗れる人間が乗れない人間にあっさりと別れを告げる怖いシーンなのかもしれない。畳む

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「箱舟はいっぱい」最後のページの「なんだか風が出てきたようですな。」のコマが比喩なのかどうか、つまりこれから実際に大災害は訪れるのだが、ラストの「風」は災害の始まりではなくその比喩に過ぎないのか、という点について今まで判断しかねていた。あらためて読み返し、考えてみると、作中終盤ではすでに総理大臣や一部市民のシェルター避難が始まっている。恐らく翌日、遅くとも二〜三日後には彼らの不在が疑われ始め、残された人々の間に混乱と、そして「彼らは箱舟に乗ったのだ、彗星の話は本当だったのだ」という真実に気づいたことによるパニックが巻き起こるだろう。とすると、総理大臣までが退避したあの朝は、その後に地上でパニックが起こってももはや問題にはならないタイミング=地上が破滅的な災害に見舞われる直前だったのではないか。やはり、あのラストのコマの「風」は実際に大災害(「大暴風雨 大地震 大津波…」)の始まりだったのだ、と考えることができる。畳む

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あとはドラマに限らないが、「ある程度の面白さがある海外作品しか日本には入ってこないのだから、出来の悪い海外作品が目に入っていないだけ」(選択バイアス)というのはあるかなぁ。しかしアンフェアにならないよう範囲をぐっと絞って、日本国内で近年大流行したドラマと海外(例えばアメリカ)におけるそれを比べたとしても、やはり映像には差がありそう。

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海外ドラマを見た後に日本のドラマを見るとなんで安っぽく感じるんだろう? とふと気になって調べてみた。なるほど使用カメラからして違うのか……。今後ネトフリやアマプラとかの配信サービスオリジナルの日本ドラマが増えていったら変わるのかもしれないな。逆に言うと、民放のドラマはこの先も当分変わらなそう。まあ民放の場合は視聴者も今までの撮り方・映像を見慣れているだろうしな〜。
ていうかドラマを撮るカメラなんて当然フルサイズ以上のセンサーなんだと思ってた、違うんだ……。シネマカメラでもフルサイズ未満なのか(ちらっと調べたら「スーパー35」というフルサイズよりは小さいサイズが主流らしい)。センサーサイズが大きすぎると取り回しづらいのかな。中判で撮ったらどうなるんだろう。

日本のドラマが安っぽい5の理由!9割はカメラが悪い? | アーリーテックス
https://www.earlyteches.com/2022/07/japa...

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みすずちゃんだと『絵画とタイトル』が気になるんだよなあ。

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極右って私には理解できないからこそ読みたいな。しかしみすずちゃんかー。高い。

ヨーロッパの極右 | みすず書房
https://www.msz.co.jp/book/detail/09591/