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不在

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というかゲーミングノートの方で買ったゲームをやりたいしそろそろベヨネッタ3も始めたくなってきた。

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PS5の映像美を全然味わえていないので、ラスアスを買いたいが懐に余裕がない。同梱されていたGoWRは容量が190GB(!)ぐらいあってダウンロードが面倒だし……。

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Until Dawn。こういうのを見ているとアメリカの若者の恋愛観やカップルのノリって日本とは全然違うなとあらためて感じさせられる。ホラーだからある程度戯画化されているのはあるだろうが……。

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せっかくのPS5でUntil Dawnを遊んでいた。結構面白い。ただ何度も遊ぶには分岐の選び直しが面倒そう。ゲームであるからには可能な限り全員が生存するルートもあるのだろうが、こういうホラーは最終的な生存者が0〜2人程度でナンボという気はする(「ホラー作品」としては0人もあり、「ホラーゲーム」としては0人はプレイヤーの失敗を意味するかも)。とりあえず今回のプレイは終わりまでやるとして、その後はベストエンドの動画を見てしまうかなー。

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indignationという英単語に、別々の本でそれぞれ「義憤」「憤慨」という訳があてられているのを読んで、初めてこの単語の持つニュアンスを理解できたように感じた。

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出版社をチェックしていて、意外と早川書房の本をほとんど買っていないので驚いた。SFには苦手意識がある。怪奇幻想小説においても懐古趣味であることが関係しているかもしれない。

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サイレントヒル3の「怪物……? 君にはそう見えたのか?」はホラーゲームの主人公が言われたら嫌な台詞No.1ではないか。
野暮を承知で言うと、サイレントヒルの怪物=クリーチャーは、1ならアレッサの悪夢、2ならジェイムズの罪悪感や隠れた欲望の現れ、つまりいずれにしても非現実の存在であることが明確なのだが、3においては主人公ヘザーが邪悪な教団に狙われているという特殊な背景から、「怪物」は教祖の指示を受けた教団員である(少なくとも教団員が含まれている)と考えることが妥当なのである。畳む

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(ラスアスを詳しくは知らないがそこからの連想:)オーソドックスなゾンビなら死体なので「殺害」しても最終的にはまあしょうがないということになるだろうが、これが例えば凶暴化ウイルスに感染した生きた人間とかなると、殺害には倫理的な大問題が発生するし、殺す側の人も(少なくとも初めのうちは)強い抵抗感を覚えるだろう。ゾンビ的な、しかしゾンビではない「人間モンスター」を扱うゲームにおいて、プレイヤーはそのような倫理的抵抗感を覚えるべき、というよりプレイヤーに抵抗感を覚えてもらうようにゲームが作られているべきであると言っても、大げさではないと思う(それとも「べき」は大げさで、「そうするのが倫理的には好ましい」程度が適切か)。しかしゲームは対象が動く死体であれ凶暴な人間であれはたまた巨大な竜であれ、それをプレイヤーに何らかの形の生物ではなく単に排除/クリアすべき障害と認識させる側面がある。というかそういった抽象化こそがゲームの特徴である、と言ってもいいかもしれない。(といって、私がそれを問題視しているというわけでは全くなく、大手を振って人間モンスターを殺せるならガンガンやろうじゃないのと思う、ゲームなんだから!)

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ポケ森は無理ない範囲で遊び続けている。お気に入りのどうぶつには「ペーちゃん」「ブケちゃん」「ブンさん」「シベ公」などとひそかに愛称をつけて愛でている。シベ公(シベリア)や、まだ実際には会っていないがローディング画面に出てくる「ジャック」なんかは見るからに人気なんだろうなというオーラがある。

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部屋にささやかなクリスマス飾りを置きたくて、ふと自分で作るのもありかと思いつく。

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こうなるとバイオRE4もPS5版を買うという選択肢が出てきてしまう。問題は対応ハードより難易度にイージーより下があるかどうかなのだが……。
時間を食らい尽くす悪魔ことディアブロ4も来年には来る。

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PS5はディスクドライブ搭載モデルでBlu-rayが再生できるらしいので、イコライザーを再生したいと思っている。

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市井の人の苦しみも、遠い国の誰かの現実も、SNSで容易に見ることが可能な現代ではそのような諸問題を常に気にかけておくことはもはや義務であるようにすら思える。知ることができるのに知ろうとしないのは罪とすら言えるのではないかと。
もちろん、問題が実際に起きていることを知っているのに知らぬふりをするのは誠実な態度ではない。しかし、(その情報を知っておくこと自体の是非とは別に)ネガティブな情報に触れ続けるのはそもそも多くの人には耐えがたいことなのではないか。世界や社会の諸問題に関心を持つのが望ましいという理想と、溢れる情報に疲弊する精神とのバランスをどのように取ったらよいのだろうか。

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ということはカフェインレス紅茶なら問題ないのではと思って即座に検索してしまった。

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夜に紅茶を飲んでしまったから眠れない。夜に紅茶を飲んではいけない。

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ゲーミングPCを扱い慣れている人はもはや気にならないのかもしれないけども、PCでゲームをやるとなると、なぜかゲームが起動できないとか、ドライバを最新バージョンにしたら不具合が起きたとか、ゲームとは関係のないPC自体の問題とか、そういうトラブルに対処しなければならない(可能性がある)のがかなり面倒ではないだろうか? その点、ゲーム機はトラブルに煩わされる確率が比較的低いというのは無視できないメリットだと思う。

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もっとおしゃれに、スマートに暮らさないといけないような気がする。世に溢れるメディアからそのように要請される。おしゃれでスマートなのはいいことだ。そうでないよりいいに決まっているじゃないか。しかしそれは私の暮らしだろうか。ネガティブではなく良い意味で身の丈を探さねばならない。

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家電の箱は捨てずに取っておくようにしているのだがPS5の箱、あまりにもデカイ。

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最近お金使いすぎ。

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別に愛読者でもないのにそんな文句言ってもしょうがないんだけどもワンピースも100巻とか続くと続きすぎなんじゃないかと思う。でもまあファンが長いこと楽しめているのならいいのか。