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不在

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写真アカウント=写真をやってる人ってだいたいアクティブなので、みんなよく旅行や散歩をしてて、見ていて気持ちがいい。

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Twitterを見ていると他の人の子育て大変情報が目に入ってくる。子育てそのものも未経験者には想像を絶するほど大変なのだろう。女性にはさらに、出産に伴う身体的・精神的・社会的負荷がある。育休を取った男性が会社で冷遇されるという話もある。そして日本人は小さな子や親子連れに対して信じられないぐらい不寛容である。そら少子化になるわという感想しかない。

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私はストレス耐性が低いので、子供を作ったら非常によくない事態になると思っている。恋愛にも結婚にも興味がなくてよかった。

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Twitterの写真アカウントや写真愛好家のブログなど見ていると、もちろんみんながそうではないのだが、自分の子供を撮っている人がたくさんいて、みんな「当たり前」に恋人を作り家族を作っているのだなあという事実がのしかかってきて死ぬのかなという感じが高まってくる。まあもう恋愛・結婚・出産(というか子供を持つこと)が当たり前って時代でもないんだけどねえ。そういう価値観を刷り込まれちゃってるんだよな。

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個人的な目標としては高尾山に登りたい(ケーブルカーで)。

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「迷う→とにかく降りようとして下ってしまう→沢に滑落」が遭難死のもっとも多いパターン。絶対に下ってはいけない。迷ったら進んではいけない。辛くても引き返さなくてはいけない。引き返せないなら動かず助けを待つ方がよい。でもいざ迷ったら、やっぱり、降りちゃうんだろうな……。

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一時期、なぜか山岳遭難の本を読みまくっていたので、「もし箱根で遭難したら絶対に下ってはいけない……」と考えてしまう。箱根で遭難……。歩く場所によってはありえなくはないだろうが……。

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みすず書房で色々欲しい本がある。全部買ってたら数万円になりそう。ムム。

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文庫ボックスの奥底から『岡本綺堂随筆集』を出してくる。たしかKindleの岡本綺堂全集みたいなやつに入ってるんだけども。

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自分が高校生の頃にTwitterがあったら、それはもう、目も当てられないような有様だったろう。とはいえ、それが「黒歴史」と将来苦笑いする程度で済むなら何も問題はないのだが……。

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授業をちゃんと受けてないこと自体はいいとしても(よくない)、それをネットで「授業サボってネット見ちゃう俺w」みたいに書くのが……まあ……ティーンエイジャーってそんなもんだよね。おじさんやおばさんなんかどうでもよくて、同世代にウケる方が大事だし。誰もが通り過ぎていく道。しかし自分の若かりし頃にSNSが未発達でよかった。

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現役中高生オタクの「授業中にこっそりネット見たったw」的発言を目にして、そういうのダサいんやで……と思い、つくづく自分も歳食ったなと実感する。でも……授業ちゃんと受けてない自慢ってなんにもかっこよくないよ……。

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穿ちすぎかもしれないが、「停車場の少女」の主人公(=語り手)と死んでしまう女友達の間には、主人公が語っているのとは別の隠微な感情があったのではないかと考えてしまう。百合とかではなく、つまり、実は三角関係だったのではないか、と……。

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しかし当時の「小田原」と今の小田原駅はもしかしたら場所も全然違うかもしれない。

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今度、一泊二日で箱根旅行に行くんで暇つぶしに何の本を持っていこうか考えていた。箱根といえば……岡本綺堂じゃないか!(湯治の話がたびたび出てくる。「停車場の少女」の舞台は残念ながら?湯河原だが、少女が現れるのは小田原駅あらためて読んだら国府津駅だった。なるほど小田原より東京寄りなのか

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京都に住めるかというと住めないが、もしも恵文社にすぐ行けるぐらいのところに住めたら人生変わりそう。

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ネームネム。眠い。

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夢の中で出かけたりご飯を食べたりして楽しかったが疲れた。

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バイオハザードの熱心なファンではないのでわからないのだが、ラクーンシティ消滅事件やらそれ以降の何やらで危険なウイルスの存在が広く人々の知るところとなる以前、バイオハザードの世界に「(ロメロ的な)ゾンビ」という概念は存在していたのだろうか? つまり、例えば地獄と化したラクーンシティで市民の誰かが「まるでロメロの映画じゃねえか」と吐き捨てるようなことはあったのだろうか? もしなかったのだとしたら、ロメロ的ゾンビの存在しないホラー史・映画史・フィクション史は現実世界とずいぶん違っていただろうなと思う。

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もし、人類史を再開発することができたとしたら、「酒」「煙草」「歩行者のすぐ脇を車が走る構造」の三つは消し去られるのではないか、と言いつつ、酒と煙草についてはそれがない人類史を想像することは難しい。