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不在

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ユリイカ9月号「Jホラーの現在」をぱらぱら読む。最近、自分は別にホラーが好きじゃないなと気づいて、考えてみたらもともと昔から自分がホラー好きだと思ったこともなかった。Jホラーに深い愛を抱える人々の対談を面白く読んで、ますます「自分は別に好きではないな」という自覚が強まり、申し訳ないような気持ちにすらなった。しかしなぜかJホラー特集のユリイカは買ったのだったが……。
ユリイカはガチの批評系の雑誌なので、論じられている内容が高度すぎて(「作品何々を○○批評の観点から読む」みたいなやつ)、「何言うとんねん」という気分になるものもあるがまあそれも面白い。

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何か作りたいような気もするが何年も作り続けていたから惰性でそう思うだけかなという気もする。

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Ghostwire: Tokyoはオープニングで渋谷の生者が全滅させられてしまって登場するのは霊だけだし、ゲーム自体も重苦しい内容ではないので、サブクエストではみんなありがとうありがとう言いながら気持ちよく成仏してくれるので良い。

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ずっとGhostwire: Tokyoをやっていた……。
Steamは特定のタグがついたゲームを非表示にできるそうなのでローグライク系のタグを登録した。

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それなりに寝たはずだが眠い。

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『メンタルヘルス時代の精神医学入門』を読んでいる。統合失調症について、「現在では、統合失調症は生物学的には異質な集団であり、すべてを包括的に説明できるような客観的要素は見出せないという意見が一般的である」(p59)とあり、またどうやら特定の原因遺伝子があるものではないらしいという話になってきているそうで、そうなのかーと思う。

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体が熱い、熱があるかも、具合が悪い! と思って体温を測ったら平熱+0.1℃で、エアコンをよく効かせて頭の下に氷枕を置いたらスーッと具合の悪さが消えていった。暑さのせい。

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万年筆の水漬けは終わったが乾燥させないといけない。

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メインストーリーでは急いでどこそこに行かねばならないことになっているのに、道中でたくさんサブクエストをこなしてゲーム内時間に矛盾を生じさせてしまえるのは、サブクエストが豊富な、または自由度の高いゲームの構造的欠陥と言えなくもないだろうか。
レベル上げ等の単純作業に時間を使うのも、ゲーム内の時間の流れという観点から見れば変にはなるのだけども、サブクエストという形だと依頼人とのやりとりやお使い先でのイベントが発生するのでなおさら「ゲーム内世界の時間そのものはちゃんと流れている感じ」がして、メインストーリーとサブクエスト時空(?)の時間の流れの食い違いが気になる。
かといって、サブクエストにうつつを抜かしていたらメインストーリーが時間制限で分岐してしまうようなゲームを遊びたいわけではないが……。

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スキマ時間にちびちび読んでいた『法哲学入門』を読了。法哲学という学問の周りをぐるぐる回って歩くような本だった。法哲学が説明しづらい学問だということはわかった。
文庫化前の原本が1982年出版なので、恐らく日本がいまだ世界のトップランナーだった頃(あるいはトップランナーに仲間入り間近だった頃? とにかくバブル到来前の日本経済がまだまだ上向きだった頃)であることを踏まえた文章が端々にあり、今読むと虚しいというか寂しいというか隔世の感があった。

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私が数年〜数十年先のテクノロジーのもたらす害についてぼやぼや考えている間に、今この現実においてお絵かきAIが大変な問題になっていたようだった。実際、絵描きさんにとっては(趣味であろうと仕事であろうと)死活問題で、私は全く絵を描かないので想像しかできないが、自分の絵や画風がどこかで勝手に学習されてどこかで勝手に「自分風」の絵が生成されるかもしれない、しかもそのことについて自分は何の権利も権限も持たない、なんて事態は耐えられそうにない。これからどうなるんだろう。

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万年筆のインクが切れそうだったので、気分転換にインク替えをしようと思って本体とコンバーターを洗浄した。染料系インクのためただの水。水に浸けたのを明日取り出す。

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読書用椅子がいい役割を果たしている。

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さて、買った本はまだまだあるので、次は何を読もう。テーマとして繋がっているのは『ポスト人新世の芸術』だが、重たい本が続いたので別のジャンルに手を出してもいいかも。
そういえば『日本語類義表現の文法(上)』を、一応礼儀として最初から読んでいたのが止まっていたので、こっちに戻ってみるかな。

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『セックスロボットと人造肉』を読み終えた。セックスロボット、培養肉、人工子宮、自殺マシンという四つの世界を変えうるテクノロジー(とそのビジネス)が批判的に取り上げられている。五年間の取材に基づいているということで当事者へのインタビューが豊富であり、読み応えがあった。こういった本の常で、インタビュイーに対して読者が抱く印象が著者によって巧みにコントロールされているのではないかと感じる部分もあったが……。
これらテクノロジーは問題の原因を解決することなく問題を消し去るために利用されかねず、人類は問題そのものと向かい合うべきだというのが著者の主張。どう見ても人類の倫理観が技術の進歩に追いついていない現状を見ると、この主張は正しいように思う。
本書に登場する新しいテクノロジーの産物の恐らく半分ぐらいが現段階では大言壮語に過ぎないのは意外だったが(培養肉や自殺マシンの話なんてほとんど詐欺である)、誰がいつ実現させるにせよ、これらが実用可能なものとして社会に登場する時は必ず来るだろう。(その事実について何を言えばいいのかはよくわからない。)

本題とは少し離れた感想だと、『あなたが消された未来』で書かれていたことだが、テクノロジー開発がビジネスと直結しているのは非常に危険なのだとつくづく感じた。ビジネスにおいては「売れるかどうか」「金を調達できるかどうか」が何よりも大事であり、テクノロジーがもたらす「素晴らしい世界」に不都合な事物(出生前診断によって「生まれてくるべきでない」とされる障害や病気の当事者たち、「商品」として自らの子宮を提供する代理母本人たち)は宣伝から巧妙に排除される。倫理的な議論を置き去りにして、本来ならば慎重に扱われるべき分野の開拓がどんどん進められてしまう。そしてこれは『考えるあなたのための倫理入門』を読んだから思うことだが、本当は、相対主義と冷笑主義のはびこる現代にこそ普遍的な道徳について真剣な議論が行われなければならないのだろう。

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後に遺す子供も守るべき未来もないので、私にとっての問題はもはや、この先のない世界で自分がどう生きてどう死ぬかということしかない。はっきり言えば人類がどうなろうがどうでもいい。
しかし、倫理的にはそのような態度は是認しがたいものである。自分に子孫がいようがいまいが、今生きている、そしてこれから生まれてくる全ての人のために少しでも現実と現在を良くしようとすることが善というものだろう。その点についてどうすべきかたまに考える。

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『セックスロボットと人造肉』を読んでいると暗澹たる気分になってくる。本そのものはディストピアSF的な面白さを持っている。
私は悲観主義者ではあるけれども、実際のところ、今のこの世界のどこに人類の未来に対して楽観的でいられる材料があるというのか? 今後、気候変動や環境の変化によって地球の大部分が居住困難な場所になったとしても、恐らく人類全てが絶滅するところまでは行かないだろう(全面的な核戦争が起きたら別かもしれないが)。しかし絶滅こそしなくとも、人間はますます狭量になり、狭い価値観に閉じこもり、気に入らない相手には正義を振りかざし、これまで以上にお互いを傷つけ合い苦しみを増やしていくだろう。そうならないと考える理由、まだ希望はあると考える理由はないように思える。

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「素晴らしい新技術」についての(批判的な)文章を読むと、『あなたが消された未来 テクノロジーと優生思想の売り込みについて』を思い出す。障害を持った子供が生まれてこない世界の「素晴らしさ」を熱心に説くのは主に知性あるインテリ的な人々であり、そこでは知的障害を持った当事者たちは黙殺される。なぜなら彼らはその障害ゆえに自らについて語る言葉を持たず、議論の場に参加すらできないから。
『セックスロボットと人造肉』もやはりそういった構造的な問題に触れているようだ。最新のテクノロジーについて批判的に考える時、そこを見過ごすわけにはいかないのだろう。

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これだけ本を読んでも2時間ぐらいしか経っていないのに、ゲームに熱中すると5時間ぐらいあっという間に過ぎ去ってしまうのでゲームは時間的なコスパは悪い(金額に対して長く遊べるのでそういう意味では良い)。

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次は、より現代に即した倫理ということで、(別に倫理学の本ではないが)『セックスロボットと人造肉 テクノロジーは性、食、生、死を“征服”できるか』を読んでみよう。店頭でページをめくってみたら、「痛みを伴う出産がそんなに尊いなら、親知らずを抜く時も同じように扱ったらいかがですか」と皮肉を書いた人の話(立ち読みなので多分細部は異なる)が目に入って思わず笑ってしまった。面白そう。