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不在

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GRD4の中には2014年の写真が入っていたから、多分この年を最後に使わなくなったのだろう。

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とはいえ、結局のところは好き嫌いの問題に過ぎない。

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ユーモアも時には必要だが、「ここがユーモラスなポイントですよ」なんて大書したようなお寒い「ユーモア」ならない方が良い。

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しかし、専門家の人はその分野の専門家ではあっても、笑いの専門家ではないのだから、読者としては大目に見てあげるのがよいのだろう。

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日本のポピュラー・サイエンス(ここでは人文科学も含む)を扱った本でたまに見かける、専門家の著者が一般読者に対して親しみやすい文章にしようと心がけるあまり生まれる軽薄な「ユーモアのある語り口」が大嫌いで、読むといらいらしてしまう。外国語から日本語に翻訳されてやや硬い調子になってしまったユーモアの方が好ましいとすら感じる(原語では軽薄に感じられるような文章である可能性もあるが)。
あまり狭量ではいけないと思うものの、とにかく嫌いなものは嫌いでいらいらしてしまうのである。

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固めの本が多いので、もう少し柔らかめの本を読みたいような気もする。

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素人目には、どう考えても長続きしないだろうと思われるようなソシャゲ(例えば単一の漫画やアニメのソシャゲ化作品など)を作る時、制作陣は例えば「1年もてばいい方だな」といった風に計画を立てるのだろうか。それとも、やはりソシャゲである以上、一応はずっと続く前提で制作するのだろうか。

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昨日は、思いきって『失われた時を求めて』に手を出してみようかと岩波文庫版の1巻を店頭で手に取ったのだけども、ちらりと覗いてみただけでもとても読みきれる気がせず、しかもこの内容で全3巻ぐらいならまだしも全14巻、怖気づいて本を棚に戻してしまった。

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M・R・ジェイムズ「銅版画」を読む。有名な一作なのですっかり読んだことがある気になっていたが、どうやら読んでいなかったらしい。

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めっきりミステリを読まなくなってしまったのは、別にそれだけが理由ではないのだが、自分にとってミステリはコスパが悪いということが大きめの割合を占めていた。1000円とか、2000円とか払って本を買っても、サッと読み終わって「あー面白かった」で終わってしまう(たまには一生手元に置いておきたいお気に入りにも出会うけれども)。紙の本だと、処分するというか売り払う手間がかかるのも面倒だし。
以前は今ほど電子版が充実していなかったというのもあるかな。今なら翻訳ものでもわりと電子版が出るし、気になった本は気軽にKindleで買って読めばいいのかもしれない。

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『小説の森散策』でエーコが激賞しているので、たまたま手元にあったネルヴァルの「シルヴィ」を読んだ。しかし、どうも語り手の「わたし」がいけ好かないインテリという感じで、もう少しロマンチックに言うと夢ばかり見て自分の幻想に浸りきりの青年で(語り手もそこは気づいており全編に自虐の雰囲気は漂っているのだが)、いまいちのめり込めなかった。かわいらしいがいかにも「村娘」だった女友達が田舎に似合わず令嬢めいた美しさを発揮しだすと惚れ直すなんて、「なんて都合のいい野郎だ」と思った。なんという卑近な感想だろう。
夢と現実と回想が入り組み、現在地点がわからなくなる構造のすごさはなんとなく伝わった。私は恐らく、この小説を読むにおいてエーコの言う「モデル読者」にはなりそこねているが、たぶん作者も語り手に全面的に感情移入して幻想の成就を応援してほしかったわけではなく、現実への敗北がテーマなのだろう。(と思う。)

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先日、Steamで買ってあったFPSゲームを遊んでみたら、その時のコンディションもあったのだろうがびっくりするほど楽しめなかった。一人称視点で照準を合わせて敵を撃つという行為が特に面白くなかった。
しかしGhostwire: Tokyoも現代伝奇で味付けされてはいるが要はFPSなので、やはりその時の気分が大きかったか、FPSではなくそのゲームのテイストが好みではなかったのかもしれない。

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新しいApple製品が出るたびに「これで生活が変わる!」と言わんばかりのレビュー記事が出るのは大げさだと今回も思ったがしかし、自分自身M1 Macbook Airにはいたく感動したのでApple製品はやはり何かしら力を持っているのかもしれぬ……。

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大きな本屋まで岩波文庫を買いに行ったのに、文庫だけでなく『徳倫理学基本論文集』を買って帰ってきてしまった。サラゴサ手稿は売り切れだった。

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部屋に数センチの小さな緑の芋虫(尺取り虫?)が出てびっくりした。逃がしてやったが害虫なのか。でもまあ野菜を栽培しているわけでもないしいいか。

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GRD4に使えるSDカードがないかと引き出しをひっくり返していたら、32GB、クラス10のMicroSDカードという(昔としては)結構な代物が出てきた。中を覗いてみたら、旧スマホに入れていたカードのようだ。大して中身は入っていなかったので、Macbook AirにコピーしてGRD4で初期化してGRD4専用に。腐ってもクラス10なのか、この前に入っていたSDカード(なんと容量わずか1GBという骨董品)があんまりにもあんまりだったのか、写真の書き込み速度が明らかに速くなった。

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『フィクションの美学』が難物でなかなか読み進まないので、もう少し気軽に読めるものを……とウンベルト・エーコの『小説の森散策』を読み始める。うーん! これはすごくいい本だ。
それにしても、このあたりのテーマを扱う難しい本を読んでいても、易しい本を読んでいても、物語論を分析した『ストーリーとディスコース』で得た知識が理解の助けになっているので、読んでおいてよかったとつくづく感じる。いい本だった。

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人間の鼻は香りにすぐ慣れてしまうので、香水をつけて自分で「うん、ちょうどよく香っているな」と思うぐらいの時には、すでにつけすぎているのではないか? と、香水をきかせすぎの人のそばを通って考えた。

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手持ちのカメラ用ネックストラップ(コンパクトカメラの小さな穴には装着できない)に、三脚穴用の金具をつけて、GR DIGITAL IVにも装着できるようにした。落下防止用にもう一本紐を通しておいたので多分安心。しかし、実際に持ち歩くかはわからない。

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突然思い立って、本棚の肥やしになっていたGR DIGITAL IVを掃除して数年ぶり(下手したら十年近くぶり)に電源を入れた。まだ動いた。(なぜ本棚の肥やしかというと、売り払うのも忍びないので飾りとしてずっと本棚に置いてあったから)
新しいカメラと比べたら動作もシャッターもニブチンだし、センサーサイズも小さいが、触っているとやはりいい道具であるという感じがする。