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不在

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一時期、なぜか山岳遭難の本を読みまくっていたので、「もし箱根で遭難したら絶対に下ってはいけない……」と考えてしまう。箱根で遭難……。歩く場所によってはありえなくはないだろうが……。

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みすず書房で色々欲しい本がある。全部買ってたら数万円になりそう。ムム。

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文庫ボックスの奥底から『岡本綺堂随筆集』を出してくる。たしかKindleの岡本綺堂全集みたいなやつに入ってるんだけども。

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自分が高校生の頃にTwitterがあったら、それはもう、目も当てられないような有様だったろう。とはいえ、それが「黒歴史」と将来苦笑いする程度で済むなら何も問題はないのだが……。

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授業をちゃんと受けてないこと自体はいいとしても(よくない)、それをネットで「授業サボってネット見ちゃう俺w」みたいに書くのが……まあ……ティーンエイジャーってそんなもんだよね。おじさんやおばさんなんかどうでもよくて、同世代にウケる方が大事だし。誰もが通り過ぎていく道。しかし自分の若かりし頃にSNSが未発達でよかった。

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現役中高生オタクの「授業中にこっそりネット見たったw」的発言を目にして、そういうのダサいんやで……と思い、つくづく自分も歳食ったなと実感する。でも……授業ちゃんと受けてない自慢ってなんにもかっこよくないよ……。

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穿ちすぎかもしれないが、「停車場の少女」の主人公(=語り手)と死んでしまう女友達の間には、主人公が語っているのとは別の隠微な感情があったのではないかと考えてしまう。百合とかではなく、つまり、実は三角関係だったのではないか、と……。

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しかし当時の「小田原」と今の小田原駅はもしかしたら場所も全然違うかもしれない。

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今度、一泊二日で箱根旅行に行くんで暇つぶしに何の本を持っていこうか考えていた。箱根といえば……岡本綺堂じゃないか!(湯治の話がたびたび出てくる。「停車場の少女」の舞台は残念ながら?湯河原だが、少女が現れるのは小田原駅あらためて読んだら国府津駅だった。なるほど小田原より東京寄りなのか

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京都に住めるかというと住めないが、もしも恵文社にすぐ行けるぐらいのところに住めたら人生変わりそう。

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ネームネム。眠い。

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夢の中で出かけたりご飯を食べたりして楽しかったが疲れた。

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バイオハザードの熱心なファンではないのでわからないのだが、ラクーンシティ消滅事件やらそれ以降の何やらで危険なウイルスの存在が広く人々の知るところとなる以前、バイオハザードの世界に「(ロメロ的な)ゾンビ」という概念は存在していたのだろうか? つまり、例えば地獄と化したラクーンシティで市民の誰かが「まるでロメロの映画じゃねえか」と吐き捨てるようなことはあったのだろうか? もしなかったのだとしたら、ロメロ的ゾンビの存在しないホラー史・映画史・フィクション史は現実世界とずいぶん違っていただろうなと思う。

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もし、人類史を再開発することができたとしたら、「酒」「煙草」「歩行者のすぐ脇を車が走る構造」の三つは消し去られるのではないか、と言いつつ、酒と煙草についてはそれがない人類史を想像することは難しい。

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写真美術館のある恵比寿へ向かう電車で『絵葉書のように』を読んでいた。『絵葉書のように』の「わが友 島尾ミホさん」で名前の出ている島尾ミホは島尾敏雄の妻で、息子の島尾伸三とその妻・潮田登久子(ともに写真家)の作品が写真美術館に展示されていた。このようなささやかな繋がりに出会うと嬉しい。潮田登久子は『みすず書房旧社屋』というそのものずばりみすず書房の社屋を撮った本を出している。

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『富士日記』は、犬死ぬところが辛すぎて、ほとんど読んでない。犬が弱っていってやがて死ぬんじゃなくて、事故で急に死んじゃうの、しかも死んでるところを見つけてしまうという死に方なの、辛い。

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『絵葉書のように』を読んでいると、著者の武田百合子含め出てくる文人みんな良い飲みっぷりで下戸の私も楽しくなるが、肝臓を悪くして亡くなった人も多く(武田百合子も肝硬変で亡くなっている)、やっぱりお酒を飲むのは怖い、自分は飲まないままでいようと思った。

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あたまいたすぎ。

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気に入った文具を買い足す。

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武田百合子の『絵葉書のように』を読む。天才だなぁ。