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不在

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D・A・ノーマン『人を賢くする道具』(ちくま学芸文庫)によると、「至高の体験」(いわゆるフロー状態)の助けになる環境とは:

・インタラクションとフィードバックが豊富にある。
・明確な目標ときちんとしたルールがある。
・動機づけがある。
・常にチャレンジの感覚がある。(以下略)
(『人を賢くする道具』p.72)

であるらしい。
これらはまさしく現代のゲーム(特にアクションゲーム)が備えている特徴で、今のゲームがいかにプレイヤーの興味を獲得し持続させるよう進化してきたのか感心してしまった。
『人を賢くする道具』でも当然、ゲーム(1993年に存在するか想像できるゲーム)が人間を「至高の体験」モードにいざなうものであることは触れられているが、現代のゲームはこまめに目標を提示してプレイヤーを誘導したりと、ますます洗練されている。(もっと挙げられる箇所があるはずだがぱっと言語化できない)

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逆に、なぜAIに架空の写真や絵を作らせるのは比較的容易なのだろうか?

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FF5が最新のRPGだった頃を知っているのでFF5あたりがレトロゲーム扱いされていると違和感を覚えるのだが、レトロゲームという単語は歴史に対して絶対的ではなく相対的なものなのだろうと考えて一人で納得した。
つまり「昔」という言葉が時間に対して相対的なんだな。

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セブンイレブンのカレーフェアのカシミールカレー、食べている最中は「期間中にもう一度くらい買ってみてもいいかな」ぐらいに思っていたのが、今はまた食べたくて仕方がない。確かにおいしかった。

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「忍者は何人じゃ」みたいな駄洒落でなく駄のつかない洒落だったとしても、語呂合わせのタイトルは「うまいこと言った感」が出るもので、その「うまいこと言った感」がシリアスな物語においては余計になる場合があるのではないかと感じる。言葉遊びは遊びに過ぎない。そこで言葉遊びをする必要があるのだろうかと思うのである。
しかし、言葉遊びは(本能的に?)楽しいもので、うまいこと言った感のあるタイトルは全くうまくないタイトルよりは良いだろうし、やってしまっても仕方ないかもしれない。

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リンツのスイスシン(Swiss Thins)のミルクオレンジというチョコレートをもらったのでポリポリ食べている。薄さが食べやすくておいしい。

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『人を賢くする道具』を読んでいる。昔(1993年)の本だがためになりそう。

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AIに絵を描かせるのが流行っているので、AIが絵と同じぐらい小説やその他の言語芸術をものにする日はやってくるのだろうかと考えた。いや、いつかやってくるのはほぼ確実だから、いつやってくるかと問うべきかもしれない。AIがゼロから(というのは、せいぜい人間が与えたいくつかのキーワードやテーマから)、首尾一貫したストーリーと優れた描写を持ち、ぱっと見には人間が書いたように見える、時には人間に深い感動すら与える長編小説を出力する日はいつになるのだろうか?
つまり、AIというか意識を持たない機械が、ストーリーをほぼゼロから考え出し、それを鑑賞者に伝えるための要素を効果的に配置し、一つの作品として仕上げる日はいつになるのか?

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佐川急便が荷物の引き取りに来た。

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ここ最近の無理が祟って、寝ても寝ても眠い。

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セブンイレブンのカレーフェアで買った銀座デリーのカシミールカレーを食べた。辛いがおいしかった。食べている最中は「ふーん、まあ、まあ、こんなものかな」という感じだったが食べ終わった後しばらく舌がヒリヒリして食べている最中よりむしろ辛かった。でもおいしい。これは良い激辛。
前に買ったセブンオリジナルの激辛カレー(ブートジョロキア入りカレーとかそんな名前のやつ)は辛いばかりでおいしくなかった。

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#メモ 8/5にベッドにダニ捕りロボを設置
10月に交換

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「ゴミ人間」というのは当然結構な罵倒だが、「人間ゴミ」の方が辛いのではないかとか考えていた。

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猫ってどんな写真でも「私は私」という顔をしているところがいい。

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セブンイレブンで目当てのカレーを買ってきた。

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どこで見たんだったか、誰かが言っていた「ドラッグオンドラグーンってタイトルは英語ネイティブからすると『忍者は何人じゃ』みたいなダジャレに見えるらしい(=あんまりかっこよくない)」という話を聞いてから(考えてみたらこれが一般的な感覚なのかは調べたことがないのだが)、英語の語呂合わせ的なタイトルを思いつくと「でもこれって外国の人から見たらダサいのかも……」と思って二の足を踏むようになった。
別に、英語ネイティブ向けのコンテンツなど作らないのだが、しかし英語ネイティブの感覚(?)を知っていてわざわざ真面目な作品に「忍者は何人じゃ」というタイトルをつけたいかというと……。

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さて、そうと決まれば準備する他ないので、C100の搬入申し込みを行った。
当日行けなかったら着払いで帰ってくるらしいので安心(?)。まあそんなに大事なものは入れない。

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M1 MacBook Airが衝撃的なガジェットだったので新機種は気になってしまうが、「M2はM1から約20%性能アップ!」と言われても20%って大したことないだろと思ってしまう。というかまあ自分の用途では重たい作業はほぼやらないから、M1から性能が何倍アップしようが宝の持ち腐れになる可能性が高い。性能が上がって排熱処理が追いつかなくなっても困るし。

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なぜ、こんな夢を見たのだろうと考えると、何をどう考えても最近「胸糞悪いSCP○選!」みたいな記事を読み耽っていたせいだった。

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久々にものすごく後味の悪い夢を見た。しかしフィクションを鑑賞して「うわあ、これは酷い話だ」と感想を抱くような後味の悪さであり、起きた後も落ち込んでしまうような類のものではない。
ホラー、主要な登場人物は四人で、何か怪異に悩まされているらしい少女、それを解決しに来た霊能者、別サイドの話の主人公である女児、その恋人(?)である男児。細部はもう忘れてしまったが、何らかの化け物だか呪いだかによって登場人物周辺の人々が次々と死んでいき、しかしどこかの時点で霊能者含めた主人公たちは精神汚染を受けてしまったようで、最終的に大量の人間が呪殺されても平然として笑っている。終盤、白い段ボール箱を乗り物にしてやってきた女児(彼女ももう人の形を留めておらず、正気を失っている)が霊能者(? 母親?)に制御されそうになるのだが、女児はそれを見越して自分を解き放つ手段を用意していた(それはなぜかクリームパンの形をしている)。彼女がクリームパンを食べて霊的制御から逃れると、霊能者(?)は「そこまでするならしょうがない、もう自由にしなさい」と笑って彼女を送り出す姿勢を見せる。その下では唯一正気を保っている段ボール箱(それは変異させられた男児だった)が「殺して」と呻いている。女児と男児の同級生かもしれない幼稚園児たちが縄で縛られて転がっている。私はそれを見て「さすがに幼児を殺すほど作者も酷くなかったか、放送できないものな」と考えている。