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不在

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『ゴースト・ストーリー傑作選』収録のシャーロット・パーキンズ・ギルマン(あの「黄色い壁紙」を書いた人)の「藤の大樹」は、真相(怪異?の出どころ)だけ見れば「閉ざされた部屋」と同じ……というかもはや怪談の定番みたいな背景なので同じも何もないのだが、とにかくそんなベタな話でも調理次第でまっとうな怪奇小説(「閉ざされた部屋」)にも、嫌な味の短編(「藤の大樹」)にもなるんだなということ。

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『怪奇小説の世紀』第2巻に載っているE・F・ベンスンの「閉ざされた部屋」を読んだ。話としてはベタだが、ベンスンやはり好き。真相もまあベタなんだけども、真相(結末)に至るまでの「何か嫌」な雰囲気の高まり(導入)、だんだんと近づいてくる怪異の気配(中間)、そしてついにはっきりと目撃される怪異(クライマックス)、といったあたりの盛り上げ方がうまくて面白い。比べるとM・R・ジェイムズはもうちょい派手なのかな。

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ポスト・ブラックメタルはブラックメタルの後、つまりブラックメタルの流れを汲みつつブラックメタルではなくなった音楽ということで、ガイドブックを買ってみるのはありかもしれない。

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『デプレッシヴ・スイサイダル・ブラックメタル・ガイドブック』は、予想して然るべしだったのだが、自傷写真(多分本物)をジャケットに使っているアルバムがあったり、コラムで自傷特集のページ(写真つき)があったり、ゴアグラインドのグロ写真ジャケットほどではないが、直視するとウエッとなってしまう部分があった。本文モノクロが救い。

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『ポストブラックメタル・ガイドブック』を買うか迷いつつ、同レーベルの『デプレッシヴ・スイサイダル・ブラックメタル・ガイドブック』を買ってしまった。depressive(鬱状態の)suicidal(自殺に導く)の名の通り、憂鬱・絶望・自傷をテーマにした激重激暗なブラックメタルのサブジャンル……ということらしい。それでまあ良さそうなやつを検索して聞いてみたんだけども、もともとブラックメタルがそんなに得意ではない(有名盤を聞いてみたがピンと来なかった)ことを思い出した。デスボイスがあんまり好きじゃないんだよな……。多分メタルならドゥームメタルの方が好きになれるかも。

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なんだか集中力がなく落ち着かない。

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悪法も法なりとは思わないが、問題は、悪法かどうかわからない微妙なラインの法。

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手軽さと本物らしさを増していくAIお絵かきも今後どこかで大きな問題になりそうだが、将来、「科学的にはそれが意識を持っていると認めるべき証拠はないが、対話すると心があるようにしか思えない(ような振る舞いを見せる)AI」が出てきたら人類はどうなってしまうのだろう。(つまり、超高度なチャットボットのような存在)

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『ポストブラックメタル・ガイドブック』が気になっており、買っても多分聞かないのだが、ガイドブック系は好きだし、こういうものは一度買い逃したら再び手に入れたくなった時には大きな金銭的代償を支払うことになるので、迷っている。

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#メモ
209まで

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古いゲームの「スウィートホーム」のプレイ動画を見てみたら、開始2分足らずで悪霊(大ボス)が登場し導入部のスピード感がすごかった。

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ダンボール文庫ボックスを一つ組み立てて本を少し入れた。

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ただ、幸福について言えば、霊魂の存在を信じている方が人間にとっては幸せであろうと思う。

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ところで、霊魂が実在したらいつか「回路」みたいなことになりそうで嫌だな……。

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まあそんなこと言っても仕方ないのだが、実話の怪談が大量に溢れるほど霊魂の活動が盛んである世の中ならば、昔の宜保愛子みたいにテレビでばんばん心霊現象が映し出されてもいいのに。

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現代日本的なホラーというと実話怪談は避けて通れないので、なんとか苦手意識を克服できないかと思ったが、結局のところ私が実話怪談を苦手なのは私自身が霊的なものの存在を全く信じていないことに起因しているからどうやら無理かもしれない。
気持ちの上で言えば、私も霊魂が実在すればいいだろうなとは思う。死者はあの世で安らかに暮らしているとか、見守ってくれているとか、ときどき現世に帰ってくるとか、耳当たりのいい話が真実であればいいだろうと思う。亡くなった祖父母や昔死んだペットの犬が天国で幸せに暮らし、私たちのなるべく遅い到着を待っていたらどんなにいいことだろう。
しかしそれは私にとって「トトロがいたら楽しいだろうな」みたいな域の話で、空想として考えることはあるが実際に存在するとは全く思わない。霊魂の存在を信じるべき科学的根拠はゼロである(信じる人からすると「科学ではわからないことがあるんだよ」となるのだろうが)。人間の意識は身体に結びついており、身体から離れてありうる心的実体など存在しない。
従って、実話であることを標榜する怪談は私にとって「体験者は真実だと信じているのだが、現実は勘違いか思い込みか錯覚」もしくは「書き手の作り話」のどちらかであり……正確には「書き手は真実だと信じているのだが、体験者が嘘をついている」もあるだろうが……、前者はあまり興味が持てないし、後者なら出来のよい創作小説を読んだ方がいいし(というか実話と言っておいて創作をするのは許せない)、実話怪談は好きじゃない、というわけである。それにしても前者ならば割り切って読めてもいい気がする。昔の百物語会の怪談(「実際に誰それが体験したこと」という体で語られた話を文章にしたもの)ならば面白く読めたのに。あとは『鬼談百景』のような、初めから「実話怪談風の創作」とわかっている話は嫌いではない。
と、ここまで書いて気がついたが、私が好きじゃないのは実話怪談そのものではなく、現在、実話怪談と呼ばれているジャンルの語り口かもしれない。「嘘くさいな」と反射的に思ってしまう。文体が合う作家を見つければ読めるかもしれない。多分、極力淡々とした語り口と話運びであればまだ読めると思う。しかしまあ、ジャンル自体が肌に合わないんだから無理に読まなけりゃいいと言えばそれまでではある。

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意識とは、心とは、私とは……という考察は好きなんだけども、脳のどこそこの領域がどうこうとかニューロンがなんたらかんたらとかの話になると途端に興味を保つことが難しくなる。自然科学は得意じゃない気がする。

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言語学・言語哲学はもうちょい本を読んでみたい。良い本を探したい。
とりあえずノンフィクション読書はちまちま読み進めていた『なぜ私は私であるのか 神経科学が解き明かした意識の謎』をやっと読了して、近しいジャンルの『脳は世界をどう見ているのか 知能の謎を解く「1000の脳」理論』に行ってもいいのだが、少し寄り道して『おしゃべりな脳の研究 内言・聴声・対話的思考』に進む予定。

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『ストーリーとディスコース』はなかなか興味深いのだが、当然というか古典的名作の基礎知識はあることが前提となっており、文中でよく触れられるディケンズ、フォークナー、ウルフ、ジョイスあたりは読んでいないと厳しいかもしれない……(読んでいない)。あと理論面では最低限プロップとバルト。読んでいなくてもなんとなく雰囲気で読み進められてしまうが、あまりいい読み方ではない。
理論は原典ではなく「〜入門」みたいな本でもまあいいだろうが(原典は多分難しすぎて無理そう)、論じられる当の物語は自分で読んだり観たりしないとだめだものなあ。

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須永朝彦編訳『王朝奇談集』から適当にいくつか読んだら、「世を捨てて山暮らしをする二人の女のうち片方が可愛らしい犬と体の関係を持ってしまうが、前世の契りのゆえだろうから仕方ないかもしれない」という話や「武士が旅先で『一物を消す術』を知り教えを請うが習得叶わず、悔しい思いをする」という話で、まさに奇談だった。