不在
2022-08-13
2022-08-13
2022-08-13
ついでに巻頭の「姉妹」も読んだ。大げさに言うと自分にとって因縁の一編で、昔、背伸びして新潮文庫の『ダブリン市民』(柳瀬尚紀の新訳に対して旧訳にあたる)を買った時、「何が面白いのか全然わからない」と自分を絶望させ本を手放させた話である。大人になった今読んだら、全然面白くないとは思わなかったがよくわからなかった。
ダブリン市民。『20世紀イギリス短篇選(上)』で読んだ「痛ましい事件」は好きだった。
2022-08-13
2022-08-10
2022-08-10
2022-08-10
人族と鬼族が同一の(あるいは類似した)語彙を持つのは前提として、鬼族が自らを「鬼」と認識している作品世界と、人族およびその作品の鑑賞者から見た「鬼」族が自らを指して鬼とは言わない(例えば彼らは「オーガ族」を自認しているとかの)作品世界とでは、どちらの方が鬼という言葉の扱いはややこしくなるだろうか?
2022-08-10
メタファー学のパラダイム
https://www.ajup-net.com/bd/isbn978-4-58...
2022-08-10
・インタラクションとフィードバックが豊富にある。
・明確な目標ときちんとしたルールがある。
・動機づけがある。
・常にチャレンジの感覚がある。(以下略)
(『人を賢くする道具』p.72)
であるらしい。
これらはまさしく現代のゲーム(特にアクションゲーム)が備えている特徴で、今のゲームがいかにプレイヤーの興味を獲得し持続させるよう進化してきたのか感心してしまった。
『人を賢くする道具』でも当然、ゲーム(1993年に存在するか想像できるゲーム)が人間を「至高の体験」モードにいざなうものであることは触れられているが、現代のゲームはこまめに目標を提示してプレイヤーを誘導したりと、ますます洗練されている。(もっと挙げられる箇所があるはずだがぱっと言語化できない)
2022-08-10
つまり「昔」という言葉が時間に対して相対的なんだな。
2022-08-10
2022-08-10
しかし、言葉遊びは(本能的に?)楽しいもので、うまいこと言った感のあるタイトルは全くうまくないタイトルよりは良いだろうし、やってしまっても仕方ないかもしれない。
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あとは範囲は狭まるが、講談社KK文庫の「学校の怪談」シリーズだろうか。