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不在

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文体といえば、価格.comのカメラジャンルをたまに覗くと、そこだけ時間が止まっているような文体を見ることができる。(カメラジャンルに限らないかもしれないが、私が見るのはカメラなので)

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ある商業誌のWeb公開記事(非ニュース)を読んだら文体がネトネトして自己満足的で気持ち悪く、対象読者層が中高年男性だとこれが受けるのだろうか……と思った(偏見……)。

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もしも、人工の知性(人工物から派生的に誕生した知性)というものが存在するとして、そのものが人類すなわちホモ・サピエンスが認識できない形で知性ないし意識を有している、従ってホモ・サピエンスは気づくことができない(または今まさにできていない)ということは現実的にありうるだろうか?
↑人工/自然とは関係ないが、この構造を逆転させたのが、「地球の生物とは全く異なる組成の高度な地球外知的生命体が、地球人が生物であることに気づかず侵略および虐殺を行う」という絶望的な状況を描いたいくつかのSF作品だった。しかし当然、それらはあくまでフィクションである。

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hontoから「デ・ラ・メアの『まぼろしの顔』が出ましたよ!」というお知らせメールが来た。『アリスの教母さま』も『アーモンドの樹』も在庫あり表示の本を頼んだのに前者は入荷遅延、後者は入荷なしで注文取り消しになり、何のつもりなのか、もう騙されないぞという思いである。

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写真といえばいよいよロラン・バルトの『明るい部屋』を読むしかないと思ったが高い。

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いらいらすることがあり、いらいらした。

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これは皮肉なのだが、「日本の伝統的な家族観」(なるもの!)を守りたい人たちは、男性が外でバリバリ働き女性は安心して家で子育てをできるように、何をおいてもお給料を上げるべきであった。

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『鉛筆印のトレーナー』をちびちび読んでいる。「古き良き時代」という言葉が頭に浮かぶ内容ではあるのだが(裏表紙の概要にも「『古き良き時代』を感じさせてくれる佳作」とある)、語り手すなわち作家自身が息子・娘家族やご近所さんと濃密な付き合いをしているのは彼固有の環境や人徳によるものが大きく、時代はそこまで関係ないのではないかと思ったりもした。それとも1980年代末〜1990年代初頭は、都市圏(舞台は神奈川県川崎市の生田)でもこれだけの付き合いをしている人が多かったのだろうか。また、2020年代の今でも場所によっては濃密な人間関係が保たれているのではないだろうか? とはいえ、日本が本格的な衰退に向かう前の時代という意味では「古き良き時代」かもしれない。たかだか三十年ほど前を「古き良き」と形容すべきなのかはわからないが。
時代といえば、「結婚を機に仕事をきっぱり辞める娘さんは偉い」という旨の文章が出てきて、ほんの三十年前はそういう価値観が当たり前だったんだなあと妙な感慨に耽った。作中に出てくる妻たちもみんな専業主婦のようだし、奥さんが一生懸命に家事をしていても語り手は手伝おうともせず見ていたりする(これは作家が「観察する」職業だからというのもあるだろうが)。だが、この作品が書かれたのはそれこそ1990年代初頭、作者は戦前の生まれであるのだから、2023年の現在から「価値観の古さ」を責めるのは酷だろう。そういう時代(?)の良し悪しというか裏表というか、長男夫婦の妻が出産した時には妻の両親、夫の両親(つまり語り手夫婦)、語り手の次男家族や長女などが総出で産後のお手伝いに来る描写があり、先ほどの話とは矛盾してしまうが、「いい時代だった」という感想がつい思い浮かんでしまうのだった。

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なぜ、カメラバッグはどれもこれも「よう、オレはカメラバッグ!! オレを背負ってるこいつはカメラマンだ! よろしくな!!」というデザインなのだろうか?(本当に大量の機材を持ち運ぶ必要のあるプロ〜ハイアマユースのバッグは機能性重視にならざるを得ないのはわかる)

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ポイント消費のための購買活動を行う。

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ものすごく形から入るタイプなので、悩みに悩みに悩みに悩んでかっこいいカメラバッグを買ってしまった。もう撮るしかない。(形から入ってその度に短いスパンで飽きてきたという過去があるのだが……)

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ハンドクリームを塗った直後にトイレに行きたくなり、悔しい思いをした。

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そういえばサードパーティってことはファーストが純正メーカー(?)でセカンドは何なのか? と思ったら、もともとthird partyという単語が「第三者」を意味しており、転じてあるメーカーのビジネスモデルに第三者的に関わっている別メーカーのことを指すようになったらしい。その文脈で考えるならば、サードパーティにおけるセカンド=第二者(?)はカスタマーということになるだろうか?

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デジカメを色々検討していたが、なぜかCanonとSONYは選択肢に入れたくなかった。ミラーレス界トップを走る(多分)SONYと長年培った技術で猛追するCanon。鉄板だ。とりあえずSONYのαなんちゃらかCanonのRなんちゃらを買っておけば事足りるはず。だから選びたくなかった。(CanonのR系はレンズが純正しかなく高額 or 安価の二択しかないらしいので、サードパーティのレンズが豊富なSONYが恐らくベストなのだろう)

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話題のリスキリングのどうしても「キリング」の部分を拾ってしまってなんだかドキドキしてしまう人は少なくないはず。

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YouTubeのホーム画面になぜか出てきたくるりの「ばらの花」を聞いたら色々とこみ上げてきて泣けてしまった。

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カメラだと値段はさておきSIGMA fpなんてすごく良さそうなのだが……。

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感覚的には、「バイトテロ」や「客テロ」と呼ばれる類の不謹慎で不衛生な行為(気分が悪くなるので細かくは書きたくない)が重罪だとは思えない。だが私の感覚はネットが隅々まで日本を覆う前の感覚である。情報が容易に拡散される現代では、実際にそういう行為が店舗や企業に多大な損害を与えうる。「バイトテロ」で潰れてしまった個人経営店もあった。そうなると、やはりある程度の重い罪なのかもしれない。それでも個人情報をネットで公開して血祭りに上げるような真似は間違っているが(というかネットリンチが正当化される場合というのは稀だろう)。

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回転寿司屋のいわゆる「客テロ」の件は、確かに罪は罪だし何らかの処罰は受けるべきなのだが、通っている学校も名前もネットに晒されて、一生を棒に振る(ことになるかどうかはまだわからないが間違いなく今後の人生で大きなハンデを負うことになる)ほどの過ちとなってしまうのは少し気の毒な気もする。が、しかし、やはり行為自体は許しがたいし、もし近隣やよく行く店で行われたことだったら自分だってどう思ったかわからない。
こういう事件はとにかく人の怒りを掻き立ててしまうのがよくないなと思った。例えば家庭内トラブルで家族を殺傷してしまった子供に対しては、憤りを感じることももちろんあるだろうが、恐怖や驚愕、困惑を感じる人の方が多いのではないだろうか。その子にも何か事情があったのかもしれないとも考えられる。対して今回のような事件は、飲食店でウケ狙いのためにやる必要のない「いたずら」を働いたという行為が全てに見えるし、若さゆえの愚かさを別にすれば情状酌量の余地はない。事件の性質上、自分が被害者になるかもしれないという嫌悪感も強くなる。それでたくさんの人が怒る。
罪は法律によって処罰されるべきだと思う。そもそもネットリンチは正しくないが、それにしても今回の事件は、いかに犯罪行為そのものが悪質でやらかした子供が愚かでも、殺人や強盗や放火ではない。本来は未成年に巨大な烙印を押しつけるほどの罪ではない。なかったというべきか。法律に基づいた議論がどうであれ、実際問題、ネットと現実が地続きになった現代では、仲間内の悪ノリのつもりで上げた動画でもあっという間に拡散されて現実に客足が遠のいて企業が経済的損害を被るのだし、やらかした者の個人情報も誰かが自由に公開する。そういう現実がある以上、今回のようなバカな行為はそれだけの罪に「なってしまった」と捉えておくしかないのかもしれない。

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久々の本屋に行った。しかし最近別のことで頭が忙しいのと、節約中なのとで、事前チェックしていた本を見ても「うーん……今はいいか……」と見送ってしまった。どうしたことだろう。本を買う気にならないなんて……と思いながら2冊買った。買ったのは初韓国文学?の『遠きにありて、ウルは遅れるだろう』と河出文庫の『ドラキュラ、ドラキュラ』。『遠きにありて〜』は概要や紹介文から買うべき本だろうとは感じていたが、実際に手に取ってめくってみるともう今買うしかないという感じだった。『ドラキュラ〜』は文庫だからと買うのを先延ばしにしているといつの間にか絶版になっているタイプの本だろうから見つけた時に買った。見送った(そのうち買うつもりの)本は創元文庫の『マンアライヴ』と『望楼館追想』。