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不在

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カフェって打ちすぎて、ゲシュタルト崩壊してきた。

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本を売っているカフェじゃなくて、持っていった本を読めるカフェ。

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メディアに刷り込まれたイメージによって「おしゃれなカフェで読書」という光景を思い浮かべがちだが、おしゃれなカフェは往々にして小さかったり個人経営だったりするわけで、そういう店でコーヒー一杯とせいぜいケーキ一つでじっくり粘られたら店主は迷惑に思うのではないか。それとも「おしゃれなカフェで読書」は三十分〜一時間ぐらいを想定しており、二時間とか三時間とか読書に打ち込む客は想定していないのか(そんな気がする)。問題は客単価なので、一人で二千円か三千円分ぐらい飲み食いすれば店主もにっこりするだろうか。

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カフェで読書したら捗りそうだけど、カフェに行くのは面倒だから家でカフェしつつ本を読もう、と思ってコンビニでカフェオレか何か買って帰ってきても、カフェオレ片手にネットを見てしまう始末。今カフェって何回言った? もしかしたら、カフェで読書が捗る(イメージがある)のはパソコンなどの気を散らすものがないからなのではないか?

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私は私に書けるような文章は別に読みたくない。

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そもそも、人に見せること前提で書く日記って不純じゃないか? という、より根本的な問題も日記本の制作をためらう大きな理由ではあるのだけれど、込み入った話になりそうだから今は書かない。

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さて実現する見込みも今のところないので、飽きっぽい私がアナログ日記を続けるために温めていた奇策を書いてしまうと、文学フリマにでも申し込んで日記を本にして売ってしまえばいいと思っていたのである。今では個人出版(と言うべきなのか、同人誌と言っていいのか、はたまたZINEと呼ぶべきなのかわからないが)の日記本というのはかなりの数が出ているらしい。つまり文学フリマの片隅にどこの馬の骨だかわからん人のしょうもない読書日記が並んでいても全くおかしくはないし、日記を書くために文学フリマで本を出すという策もあながち狂人の妄想ではない。その日記本が十冊とか何十冊とか売れる光景を想像しているなら無謀だが……。
さすがに私も自分の日記が十冊どころか二冊も売れるとは思っていない。なんなら一冊も売れない。だが、イベントに参加するならば、せめて一冊は巣立ってほしい。そのためにはやはり、事前の宣伝が必要である。すると、SNSなり、ブログなりの拠点が欲しいということになる。しかし、私はそもそもそういったネット空間の雰囲気についていけず脱落したのだから、本を売るために再び参入するのは本末転倒である。ということは事前の宣伝一切なしで、本物の馬の骨として日記本を出すしかないのか。文学フリマのWebカタログを隅から隅まで読んで日記本なら一冊も漏らさずに買うと心に決めている奇特な人でもいない限り、私の本が売れることはなさそうだ。だったら、別にイベントに参加しなくてもいい気がする。参加するだけでお金がかかるし、なんといっても本を作るのは大変だし……。
というわけで、今のところ奇策が実現する見込みはない。文学フリマにも特に申し込んでいない。アナログ日記はなんだかんだ習慣になって自然と続いている。そういう次第である。

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水声社の本はAmazonでは扱ってないが他のサイトでは普通に注文できる、にも関わらず情報がない、ということは発売延期か何かかも。

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ジョルジュ・ペレックの『さまざまな空間』が復刊? 重版? されるらしいんだけどもいまいち時期が定かでない。水声社に問い合わせ&注文しちゃうのが一番早いかなー。

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アホなので本を読むといつでも新鮮な発見があるがこの歳になってそんなことでいいのかという気もしないわけではない。が……。

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賛嘆に値する意志によって、部屋が見る見る片付いていくかのようだが、私は部屋片付けを何年間も先延ばしにしていたのである。

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一度このお店に行ってみたいのだけれども、集中力がないので果たして2〜3時間もじっとして本を読んでいられるか自信がなく、実行できないでいる。(別に1時間ぐらいの滞在でもいいらしいがそれだともったいない気がするので……)

fuzkue | 本の読める店
https://fuzkue.com/

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寒いなら寒いでダウンを着込めば済むものを、変に暖かい日があるから着るものに困る。

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セブンイレブンのプライベートブランドのポテチ韓国のり味というやつを食べた。おいしかったが大変塩辛かった。三日ぐらい寿命が縮まるのじゃないかと思った。

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最近の話でいうと寝る前に正岡子規の『墨汁一滴』を読んでいる。正味の話、正岡子規のTwitterという感じでおもろい。

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ここ数日は突然思い立って部屋片付け兼模様替えをしていた。無印良品には日頃お世話になっているがそれはそれとして無印の収納用品は気分が上がらないので置きたくないのだった。無印良品だらけの家に住んだら気が狂ってある日家具という家具を破壊してしまうかもしれない。

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古語辞典には「全訳」と名のついたものがあってそれは全ての例文に現代語訳がついているのであるらしい。全訳じゃない方を買ったが見栄を張らずに全訳にすべきだったかもしれないと少し後悔している。

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考えてみると、ATMが何の略なのかすら知らない。オートな何かのマシンであることは想像できるが、何のマシンなのか。

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本はいいなあ。

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以前、部屋の整理をしていた時にずっと前の日記帳(そんなものがあったことすら忘れていた)が出てきたんだけれども、出来事を綴った部分はともかく、思いや考え(こう表現することすら馬鹿馬鹿しい)はやたら深刻ぶった書きぶりで呆れる他なく、苦笑も出なかった。馬鹿じゃねえのという感じだった。残念ながら、将来この文章を読んでもそう思うかもしれない。