RSSフィード

不在

edit

The Last of Us Part I。ピッツバーグ。
ピッツバーグってどこ? 議事堂(ワシントンD.C.)あたりから車で来たわけだから……どこ? そもそもワシントンってどこ?(今Googleマップで確認した)
場所はともかくピッツバーグはVS野盗編。ホテルの中ボス戦的なところで何回も死んで、私のLast of Usもここまでか……と思ったが7000円ぐらい払って買ったのでがんばってクリアした。中ボス的なやつ(感染者の最終段階、ブなんとかいうやつ)は別に無理に倒そうとしなくてもよかったのだった。一方、人間のハンター(と言うとかっこいいが要するに野盗)どもはゲーム側で「全員殺さないと話が進みませんよ」という雰囲気なので容赦なく殺した。一人で野盗を皆殺しにできるぐらいの男でないと終末世界は生き抜けないのだ。それにしても野盗! ステルス&殺害! 野盗! 野盗! で疲れたので中断。もっと思いっきり敵をぶちのめせるゲームもやりたくなってきた。
ハンター連中が本当に「奪う! 殺す! 犯す!」という山賊みたいな悪党どもであることはゲーム内でしっかり示されており、現世界の終末ぶりを示すとともに、生きた人間を皆殺しにすることに対するプレイヤーの罪悪感(そういうものがあるとして)を軽減させている、と思う。まあ序盤では特に罪のなさそうな軍人さんもやってしまったわけだが……。畳む

edit

操作を忘れたり飽きたりしないうちにラスアスを進めるか。

edit

ふと、「雨もよい」という言葉があったはずだが「雨模様」とは関係があるのだろうか、と調べてみたら、「名詞の下に付けて、そうなる気配が濃いさまを表す。」(大辞林)とのことだった。雨催い(あまもよい)という言葉もあって、こちらには「雨の降りそうな空のようす。雨模様。あまもやい。あめもよい。」(大辞林)とあるので、雨もよいと雨模様とは関係があると言えるようだ。いずれにしろ、すでに雨がしゃらしゃら降っている今日は使えない。(というか、「雨模様」も本来は雨が降っている状態ではなく雨が降りそうな様子を表す言葉なのね)

edit

測量野帳+ピグマ(in ピグマホルダー)がいい具合なのだが、この組み合わせだと悲しいことに万年筆の出番がない……。

edit

西洋哲学は面白いし哲学に触るなら絶対に避けては通れないが、(古代ギリシャの皆さんはもちろん別として)根底にあるのはキリスト教的価値観なのだろうと感じる。全く別の世界観から生まれた哲学にも触れてみたいが……。

edit

アンスコムは、トロッコ問題(トロリー問題)を扱った『太った男を殺しますか?』に登場していたのもあり、親しみとまでいうと変だが、単なる興味よりは親しみに近いような関心がある。G.E.M.アンスコムはガートルード・エリザベス・マーガレット・アンスコム、すなわち女性哲学者で、トロリー問題の生みの親であるフィリッパ・フット(同じく女性哲学者)と一時期は友人だったが、カトリック教徒(アンスコム)と無神論者(フット)という埋めがたい価値観の違いによりやがて決裂するに至ったと『太った男を殺しますか?』には書かれている。またメアリー・ウォーノックの『考えるあなたのための倫理入門』にも(訳者解説でウォーノックとの関係を述べるという形で)アンスコムやフットの名前が出ていた。そういうわけでなんとなく「別に親しくはないけれどご近所の人」ぐらいの親しみはあるのである。

edit

『自由と行為の哲学』。デイヴィドソン「行為・理由・原因」に取りかかっているが難しい。一応読んではいるものの正直ほとんど理解できていない。この後のアンスコムはさらに難解らしい。
ヴァン・インワーゲン「自由意志と決定論の両立不可能性」は題名通り、(ある種の)決定論と自由意志が両立しないことを論証している。「決定論が真ならば、私たちは自由意志を持ちえない」(とまとめると意味が違ってきてしまいそうだが)というあまり愉快ではない結論へ向けて、丁寧に外堀を埋められていく様がスリリングでぞくぞくした。

edit

ある創作者(特定の人物ではなく誰でもよい)が、「陰ながら応援しています」と伝えてきたファンに「陰ながらでなく応援してほしい」と望むのもある程度は妥当な要求であると思う一方、陰ながら応援しているということを本人に伝えた時点で真の「陰ながら」ではないのかもしれないといったことを考えていた。実際のところ、「陰ながら応援しています」というメッセージは何を伝えているのだろうか? 陰ながらでない応援の場合、公然と(例えば日頃からその創作者にメッセージを送っているとか、SNSで愛を叫んでいるとかの形で)応援しているということなのか? そうであるとすれば、「陰ながら応援しています」とは、「あなた(の作品)が好きであることを頻繁に公言したりはしていませんが、あなたを応援したいという気持ちを持っており、私はそれを伝えたいと思っています」という意味だろうか?

edit

『自由と行為の哲学』の息抜きに、講談社ブルーバックス『宇宙の終わりに何が起こるのか 最新理論が予言する「5つの終末シナリオ」』を読み始める。数学や論理学の抽象的な話は(理解できているかはともかく)わりと好きな一方、実際のモノを扱う物理学などの話はどうも苦手なのだが、一般読者向けの本で大変読みやすく面白い。

edit

こんな時間(23時)にラスアスの続きを遊びたくなってしまった。しかし今プレイし始めたら確実に明日後悔するだろう。だから遊ばない。偉い。

edit

色々な本屋・古本屋でちょこちょこ買っていると、支払い方法が前払いだったり後払いだったり、頭が混乱しそうになる。

edit

『自由と行為の哲学』よりストローソン「自由と怒り」を読む。「決定論が正しいならば、つまり初めから全てが決まっているならば、人は道徳的責任を負わない(負えない)ことになってしまう」という、決定論を踏まえた道徳論・自由論まわりで前提とされている考え方に異議を唱える論。非常に大ざっぱに言うと、社会において実際に私たちが「この行為者には責任がない」と判断する場面を取り上げて、その判断がなされる条件を調べ(例えば行為者が精神病者であるとか子供であるとかいう場合がそう)、決定論はそれらの条件のいずれとも関係がないことを示す。「実際のこういった場面(つまり私たちがある人に責任がないと見なす場面)と決定論に関係がありうるのか? 決定論が仮に正しかったとして、私たちがすでに行っている道徳的実践が影響を受けることなんて本当に考えられるか?」と問うている。これが本の一発目に掲載されているのは熱い。

edit

「輝く草地」は触れたら砕ける結晶を見ているよう。

edit

アンソロジーでいい短編を読むと、まだ買わなければいけない本があると思って、ぞくぞくするほど楽しくなる。(実のところ、アンナ・カヴァンなんて、有名だし、今さらいい作家だなんて私が言う必要はない。事実、私の本棚にもちくま文庫の『アサイラム・ピース』がある。でも今まではなんだかピンと来ないなと思っていた。それが今、「輝く草地」が突然ぐさっと来た。そうして自分自身で発見することに意味がある。私は今やっとこの作家と出会ったと思う瞬間。)

edit

手元にあった本からなんとなくアンナ・カヴァンの「輝く草地」を読んだら氷の刃のような研ぎ澄まされた鮮烈なイメージに不意打ちされてしまった。

edit

ラスアスが面白いがずっと重苦しいゲームなので(景色はきれい)、息抜きに軽いゲームをしたくなる。ベヨネッタ3は気分転換ではなくがっつり遊びたいしなあ。

edit

通販で文フリの落穂拾い。

edit

ゾンビものは生存者のコミュニティの人間関係がどうこういうのが好きではない。そんなごたごたするならとっととみんな死んでしまえばいいのにと思う。スーパーマーケットに立てこもった人たちの短い間の人間関係ぐらいで限界。

edit

「銃社会じゃなくてもゾンビ映画を作りたい!」という熱意(想像)が傑作ショーン・オブ・ザ・デッドを世に送り出したはずなので、銃がない国の人にもがんばってもらいたいが……。

edit

ラスアス世界の「感染者」は情け容赦なく走って襲いかかってくるので、銃がない国の人たちはパンデミックの早い段階でみんな噛み殺されちゃったんだろうか。