不在
2022-08-17
2022-08-17
2022-08-16
2022-08-15
2022-08-15
気持ちの上で言えば、私も霊魂が実在すればいいだろうなとは思う。死者はあの世で安らかに暮らしているとか、見守ってくれているとか、ときどき現世に帰ってくるとか、耳当たりのいい話が真実であればいいだろうと思う。亡くなった祖父母や昔死んだペットの犬が天国で幸せに暮らし、私たちのなるべく遅い到着を待っていたらどんなにいいことだろう。
しかしそれは私にとって「トトロがいたら楽しいだろうな」みたいな域の話で、空想として考えることはあるが実際に存在するとは全く思わない。霊魂の存在を信じるべき科学的根拠はゼロである(信じる人からすると「科学ではわからないことがあるんだよ」となるのだろうが)。人間の意識は身体に結びついており、身体から離れてありうる心的実体など存在しない。
従って、実話であることを標榜する怪談は私にとって「体験者は真実だと信じているのだが、現実は勘違いか思い込みか錯覚」もしくは「書き手の作り話」のどちらかであり……正確には「書き手は真実だと信じているのだが、体験者が嘘をついている」もあるだろうが……、前者はあまり興味が持てないし、後者なら出来のよい創作小説を読んだ方がいいし(というか実話と言っておいて創作をするのは許せない)、実話怪談は好きじゃない、というわけである。それにしても前者ならば割り切って読めてもいい気がする。昔の百物語会の怪談(「実際に誰それが体験したこと」という体で語られた話を文章にしたもの)ならば面白く読めたのに。あとは『鬼談百景』のような、初めから「実話怪談風の創作」とわかっている話は嫌いではない。
と、ここまで書いて気がついたが、私が好きじゃないのは実話怪談そのものではなく、現在、実話怪談と呼ばれているジャンルの語り口かもしれない。「嘘くさいな」と反射的に思ってしまう。文体が合う作家を見つければ読めるかもしれない。多分、極力淡々とした語り口と話運びであればまだ読めると思う。しかしまあ、ジャンル自体が肌に合わないんだから無理に読まなけりゃいいと言えばそれまでではある。
2022-08-15
2022-08-15
とりあえずノンフィクション読書はちまちま読み進めていた『なぜ私は私であるのか 神経科学が解き明かした意識の謎』をやっと読了して、近しいジャンルの『脳は世界をどう見ているのか 知能の謎を解く「1000の脳」理論』に行ってもいいのだが、少し寄り道して『おしゃべりな脳の研究 内言・聴声・対話的思考』に進む予定。
2022-08-15
理論は原典ではなく「〜入門」みたいな本でもまあいいだろうが(原典は多分難しすぎて無理そう)、論じられる当の物語は自分で読んだり観たりしないとだめだものなあ。
2022-08-15
2022-08-13
あとは範囲は狭まるが、講談社KK文庫の「学校の怪談」シリーズだろうか。
2022-08-13
2022-08-13
ついでに巻頭の「姉妹」も読んだ。大げさに言うと自分にとって因縁の一編で、昔、背伸びして新潮文庫の『ダブリン市民』(柳瀬尚紀の新訳に対して旧訳にあたる)を買った時、「何が面白いのか全然わからない」と自分を絶望させ本を手放させた話である。大人になった今読んだら、全然面白くないとは思わなかったがよくわからなかった。
ダブリン市民。『20世紀イギリス短篇選(上)』で読んだ「痛ましい事件」は好きだった。
2022-08-13
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