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不在

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カメラ趣味のない友人(けど性能のいいスマホを持っていて私などよりよほど外出しているので素敵な写真をたくさん撮っている)に「もしカメラ買うとしたらいくらぐらい出せる?」と聞いてみたら、「う〜ん、5、6万」ということだった。そうだよねーと思った。デジカメ高くなっちゃったなあ。
しかし5〜6万あれば、中古マイクロフォーサーズの1世代か2世代前のモデル(性能だけ見るならもっと前でも問題ない)のボディ+レンズでカメラライフを始められるかもしれない。レンズは、現代のよく写るスマホと比べて「専用のカメラらしさ」を感じられるのはやっぱりボケだろうから、単焦点レンズで(しかしボケもそのうち画像処理で足りるようになりそうだが……)。すると、E-PL9かGF9ないしGF10の中古+20mm f1.7とかどうだろう。

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自分のための文章なんて数に入らない。他人に伝えるための文章を書かないと作文が下手になる。でも何も伝えたいことがないんだよなあ。

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読点が多すぎる文章を書く人って、書いた文章を読み返して何かおかしいと思わないのだろうか? とたまに考えるが、私は得意不得意で言えば完全に文章が得意なタイプなので、私には想像もできない何かがあるんだろうなー。(逆に私は、音声処理が苦手)

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SOMAの「救いのなさ」とは、救いはあるのだけれども主人公は「そっち側」には行けませんでしたという事実が恐ろしいまでの明らかさで示されていることだと思う。プレイヤーは「でも、もう一人の(?)サイモンはARKに行けたのだから」と救いを見出すことができるかもしれないが、なんといっても海の底に取り残された方のサイモンはそう考えないだろうから、だったらやはり海の底にいる方のサイモンにとって救いはないわけで……。畳む

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SOMAは面白かったし、好きだし、個人的な評価は高いのだが(ついでに言うと世間的な評価も上々なのだが)、ある事情(結末に救いがなさすぎる、正確に言うと救いはあるにはあるのだがその事実自体が完膚なきまでの救いのなさを生み出している畳む)でもう一度プレイする気にはなかなかなれない!
追記:救いが「なさすぎる」という表現は適切でなかった。「なさすぎる」と言うと過剰であることになってしまうが、SOMAの結末は過剰に救いがないわけではない(過剰な救いのなさとは、「負のご都合主義」やクリエイターの嗜虐心が感じられてしまう展開だろう)。むしろ、終末が迫る地球という舞台設定、人格のコピーというアイディアから無理なく導き出される完璧な結末だった。だからこそ、物語として大きな瑕疵がないからこそ、あまりにも救いがなくておののいてしまうのだった。畳む

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HITMAN3の英語版のプレイ動画を見ていて、主人公47(フォーティーセブン)の指示役ダイアナの声がいい感じだと思って声優さんについて調べたら、私が昔遊んだゲーム「SOMA」で「Maggie Komorebi/Nadine Masters/Andrea Suther」役をやっていたり、昔見た映画の「ジェーン・ドウの解剖」に「Lieutenant Wade」役として出演しているそうなのだが、彼女たちが誰なのか全然思い出せない……。

Jane Perry (actress) - Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Jane_Perry...

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HITMAN(超凄腕アサシンが標的をかっこよく、時には面白くキルしていくゲーム)の「標的もそうじゃない人もそのステージにいるNPC皆殺しプレイ動画」を見たら、ホラー映画を逆から見ているみたいで妙な面白さがあった。

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(あらゆるネタバレ)アントニイ・バークリーのアレこと『第二の銃声』は『アクロイド殺し』の「語り手=犯人」構造および手記叙述トリックの発展形もしくは洗練形で、『アクロイド殺し』では少し弱かった「犯人がわざわざ犯行場面等をぼかしてまで(メタ的には叙述トリックを使ってまで)手記を書く理由」をうまいこと処理している。『アクロイド殺し』のシェパードは、隣人が名探偵であることを知り、そしてヘイスティングズの手記に触発されて実際にいつか出版するつもりで書いていたようだが(それがシェパードの嘘だと考えるべき理由はなさそうだ)、『第二の銃声』のピンカートンはそもそも警察に見せるために書いていた。手記を書くこと、その手記が捜査機関に発見されること自体が犯人のトリックの一部であるという点で、『アクロイド殺し』より優れている。(そして『アクロイドを殺したのはだれか』を読んだ後だから思ったのだが、シェパードが信用ならぬ人格の持ち主である――ゆえに殺人を抜きにしても手記を額面通りに受け取ることはしにくい――のと対照的に、ピンカートンは周囲から見て滑稽なほど実直かつ誇り高い人物で、ゆえに手記の内容も相当信頼していいのではないかと思えるのは、見ようによっては優れている点に数えられるかもしれない。いずれにせよピンカートンも策を弄した殺人者であることに違いはないのだが……。)
というのはさておき、私は『第二の銃声』がひねくれたラブロマンスとして大好きなのである。畳む

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アントニイ・バークリーのアレを読み始めたら面白すぎて、ほとんど徹夜みたいな夜ふかしをして読み終えてしまった。

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Twitterで、何かちょっと話題(問題)になっていることに対して例えば「うーん、これはどうかと思うなあ」ぐらいのことだけを呟いたとしても、そういうツイートの数々+きつい調子のツイートの数々が積もると袋叩きになってしまう、っていうのが、厳しいなーと思う。

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横浜に行ったのでヨドバシカメラにも行った。今日は声をかけてくれてもいいと思ってうろついている時は声をかけられない。

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横浜に行き、蒙古タンメン中本で北極ラーメンに挑戦し、横浜みやげに京都みやげの阿闍梨餅を買った。(おいしいが賞味期限が短い阿闍梨餅、横浜高島屋の地下で売っていることを知ったのだった)
北極ラーメンは辛かったが、一口食べるごとに「は、はぁ、無理、もう無理!」となるほどではなく普通に「辛い!」と言いながら食べられるおいしさだった。限界に挑む辛さではなかった。

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コルタサル「山椒魚」に出てくる山椒魚ってこれウーパールーパーだよな……? と調べたらやはりそうだった。ウーパールーパーは「メキシコサンショウウオ」であるらしい。しかし邦訳を「ウーパールーパー」とすべきだったかというと難しい。

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コルタサルの「殺虫剤」、中学か高校の文芸部に入っている子に読ませてグッと文学の好みの軌道を逸らせてあげたい。ところでコルタサルとは全然関係ないが、十代の創作者が読むと致命的なほどの影響を受けてしまう作家は秋山瑞人だと思う。

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河出の「怪談集」シリーズの『ラテンアメリカ怪談集』を買ってあったか買ってないかいつも忘れてしまう。多分買っていない気がする。

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コルタサルいいな。もう一冊の岩波文庫も買おうかな。

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コルタサルの『遊戯の終わり』、不気味で怖い話が多いのだが、特に怪奇要素のない「殺虫剤」が「ああ……」という感じで辛かった。

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バイオRE4。有料DLCで無限武器が解放されたらガナード皆殺しの旅に出たい。リヘナラドールとは正々堂々戦いたい。

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自分は遊べないがバイオRE4が大好評のようで嬉しい。

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『ロジャー・アクロイドはなぜ殺される?』でジュネットを引く形で取り上げられていたコルタサル「続いている公園」を読み返すついでに、『遊戯の終わり』からいくつか読む。