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不在

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Twitterでオシャレな写真アカウントを見ていたら写真に「GM」と添えている人を複数見かけ、「『gg』的な煽りか?(ggは煽りではない)」と怖がっていたのだが「Good Morning」の略であるらしかった。

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春に向けてボトムスを買った。

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「自分の中でわりとどうでもいい寄りのことだからChatGPTに聞いてみよう」と思ったことが二つほどあったがどちらも忘れてしまった。

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そろそろええやろ(?)という思いで本を買い込みたくなったがそれは単に私の気持ちの上での「ええやろ」であり、気持ち以外の現実界的な部分では特によくなかった。

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なんだかすごく変な夢を見てよく眠れないでいるうちに昼になった。

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そういえばカメラって、
・Canon:数字の小さい方が上位(EOS R3>R5>R8)(プロ向けフラッグシップのR1の登場が待たれているとかなんとか)
・Nikon:数字の大きい方が上位(Z9>Z6>Z5)
なんだな。Sonyはよくわからなかった……。

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EOS R50かわいいな。RFマウントは選択肢がほぼCanon純正しかないらしいのがきびし。

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多様性って「多数派じゃない人たちを認めてあげる」ことだと思っている人が結構いるんじゃないかと思っている。自分も無意識にそう思わないように気をつけねばならない。(昔見たたとえで言うと、同性愛者の人に「私はあなたが異性を愛することを認め(てあげ)ますよ」って言われたら変でしょ、みたいな話)(追記:←のたとえをわかりやすくするには、「同性愛者が多数派の世界で、異性愛者のあなたが同性愛者にこう言われたとしたら……」という風にした方がいいかも)
ただ個人レベルでは、育った年代や環境の違いなどにより、特定の属性を持つ人(例えば性的少数者)を感覚的にはどうしても受け入れられない、だが理性により感情を抑え込む、そうして「認める」、ということは当然ありうるし、それはむしろ良いことだと思う。(感覚・感情的な反射・反応を変えろと言ったって普通は無理だろう、でも人間には理性があるのだから)
しかし公的なレベルでは、「多数派の私たちは寛容にも少数派のあなたたちを認めてあげますよ」みたいな雰囲気や考え方は改められるべきだろう。

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ふと思い立ってchatGPTに登録してみたが、正確な説明を求める質問は回答の正誤を判断できないし(自分がもともと対象に詳しくない限り)、AIによる回答のソースを確認するすべもないから自分で検索した方がいいな……。意見や印象を聞くなら使えるかも。あとは質問の仕方を工夫すると回答も面白くなるんだっけか。

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カメラの祭典CP+、ちょっと行きたかったが予定がかぶっていたし今回は事前来場申込が必要らしく面倒で断念。

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この間どこかの駅に行ったらうる星やつら(新アニメ版)のポスター?(単にラムちゃんがいるポスターだったかも)があり、「声優業をやっていると『新版うる星やつらのラムちゃんの声を任される』ということもあるんだなあ……」とあらためて感じ入った。

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混みすぎていて「(今日この時に)来なければよかった」と思った美術展ならある。昔Bunkamuraでやっていたブリューゲル展がそうだった。(だが、検索してみたところ、Bunkamuraで開催されたブリューゲルの登場する美術展は複数あり、どれだったか覚えていない。)

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美術展。そもそも出不精でよほど行きたくない限り美術館なんて行かないので、基本的に感想は「行ってよかったなあ」になる。しかし中でもとりわけ印象に残っている、本当に行ってよかったと思う展示は、「空想の建築」展(町田市立国際版画美術館、2013年)、「クリスチャン・ボルタンスキー – Lifetime」(国立新美術館、2019年)かな。もし現時点での生涯ベストを挙げろと言われたら、ボルタンスキーになる。

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行列といえば、いつだったか行った「怖い絵」展(中野京子セレクションのやつ)はものすごく並んだ。コミケの100分の1ぐらい(コミケの待機列に比べれば昼下がりのコーヒーブレイクのようなものだった)。人が多すぎて中でまともに見られないより、外で長いこと並んでもある程度ゆったり見られる方がありがたい。あれは行ってよかったなあ。今だと美術展も人数制限をかけているところが多いのかしら。

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「今年はモノよりコトにお金を使うぞ!」と決意したのでエゴン・シーレ展に行きたい。でも上野と聞いただけで行列・人人人・流れ作業のような鑑賞……を思い浮かべてしまう。しかし、フェルメールでもあるまいし、そこまで酷い混雑ではないだろうか……。

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(他の国の人がどうかは知らないので限定するが)日本人は、「すぐ怒鳴るおじさん」や「酔うと前後を失うことを自分で知っているのに飲みすぎる人」に今まで寛容すぎたと思う。

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恐らく歴史的経緯からヒステリーといえば女性というイメージになっているが、何か気に入らないことがあるとすぐ声を荒げるおじさんなんかも十分ヒステリックだよなーと思った。そもそもヒステリーという言葉自体、もはや古いので使うべきではないだろうが……。

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なんだかんだカメラについて迷っても最終的にはやはりライカに行き着くのかもしれないと思ったが、値段を調べたところ行き着く心配はしなくてよさそうだった。

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私が考えていたのは、大地震のニュースに心を痛めていても、結局私は(私たちは)遠い地の悲劇をただ消費しているのではないかということだった。私には私の生活があり、やらなければならないことがあり、日々たくさんのニュースがやってきてあっという間に過去を押し流してしまう。「ひどいね」「気の毒だ」と言うだけで終わらせてはいけない、せめて何かできることはしなければならないと思った。

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大地震のニュースに心を痛めていた。本当に何一つできることがないのならば……つまり例えば物理的にはトルコないしシリアに向かって救援活動に参加することが可能だとしても、色々なことを考慮すると現実的には(自分にとっては)不可能であるという意味で私には何一つできることがないと言うことはできる……それが本当ならば祈るほかないが、実際はそうではない。できることはある。従って、寄付をした。