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不在

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アナログ日記を一ヶ月ぐらいサボり、書かなければならない日付が溜まっていてもうダメかと思われたが「書いていなかった分については諦める」という解決策によりなんとか再開。書き始めたのも全然きりがよくない日だったからこれでいいのだ。

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うーん、あたまいたし。

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自分でゲームするより楽しそうにゲームしている人たちを見る方が楽しいという悲しさだなあ……。

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リングは、実際には、ウイルスがどうとか仮想現実(?)がどうとかの話になっていくらしいが(最初の映画とリング0しか知らないので何もわからない)、そこは一旦さておくとして、「呪いのビデオ」の部分だけ取り出して「もしも」を加えると、ダビングしたビデオを全国民で順番に見ていって呪いを実質的に無力化しているみたいな世界もありえたのだろうか。「あ〜あ、ついにビデオ当番の日が来ちゃったよ、やだなあ」みたいな。2回見るとどうなるんだろう。しかし本当にどうでもいい想像だ。

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映画リングのラストについてだが、昨夜「嫌いなやつでも騙してビデオを見せればいいのに」と書いて布団に入った後で、「しかしあの時の松嶋菜々子は自分の子供が生きるか死ぬかの局面だったわけで、そういう時に誰かよくわからないやつにビデオを見せても安心できないのではないか。『他人を犠牲にしたくない』といった感情を抜きにするとしても、信頼できる身内に犠牲になってもらおうという考えになるのが自然ではないか」と思い直した。

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文フリで出た本の通販サイトに張りついて開始と同時に購入する。

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映画リングのラスト、松嶋菜々子(松嶋菜々子ではない)も誰か嫌いなやつでも騙して呪いのビデオ見せればいいのに律儀だよなあと思った。

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もし今TRPGのシナリオを作るなら、PCたちがイチャイチャするシナリオはたくさんあるようなので、「うるせ〜! 死ぬェイ!」みたいなやつを作りたい。(作らないけども)

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多分、私が考えていることを突き詰めると、ホラーよりSFに近くなりそう。

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フィクションでは「陰ながら怪異に対処する機関(ががんばっているので一般人は安穏と暮らしていられる)」という設定が採用されることが多いと思うが、怪異がある時から突然現れるようになったというならともかく、初めから物質/生命とともに非物質/霊が存在していたならば、そもそも人々に隠しておく必要が生じるのだろうか? クトゥルフみたいなやつなら、知る人が増えるのはまずい(あとは知ったらだいたい死んだりする)から無理ないけども。

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「怪異が実在する世界」と雑に括ってしまったが、私が言いたかったのは、霊的・魔的・神的なものの存在の有無は、気軽に導入できる変数みたいなものではなく、人類文明のありようを大きく変える要素なのではないか、それらが実在する世界の人類文明は現実世界(こちらの世界)とはかなり異なってくるのではないか、ということだった。しかしまあSCP財団みたいな人たちががんばって怪異をヴェールの向こうに押し留めているのかもしれないが。

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どうでもいいが、昔ホラーシナリオを作っていて、怪異が実在する世界ではオカルト雑誌やオカルトライターの立ち位置も少々違うのではないかと考えていたことを思い出した。実際のところ、怪異が実在する世界において、大多数の人々がその事実を知らないままで人間の文明が発展していくということはありえるのだろうか? なんといっても怪異が実在するのだから、それは統計的な事実として表れてくるのではないだろうか? 怪異が物理に基づく科学では測れない存在であるということは関係ない。実在する怪異が世界や人類に何らかの影響を与えているならば、そのことが数字に表れてくるはずだ。(ただし、「人類に認知されないように振る舞う怪異」を想定することも理に適ってはいるだろう)

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逆に考えると、もし、あなた(?)の生きている世界でホラーやオカルトに関わる人々が謎の死を遂げていたり、消息不明になったりしているならば、その世界には霊的なものが存在する可能性が高いと考えられ、背後には気をつけた方がいいということになる。

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創作としか思えないような実話怪談をほとんど憎んでいると言っていいぐらい嫌っている。本当に実話なの? 本当に本当に実話なんですか? 実在する人物に聞いた話を少しばかり脚色しただけなんですか? 本当に本当に本当にあなたが実際に誰かから聞いた話なんですか? そう問いただしたい。本当にそうならすいませんけど。でも本当に実話であり、そんなにやばい霊やら呪いやらが毎月怪談本が何冊も出版されるぐらい大量に存在するならば、実話怪談師が何人かむごたらしい死に方をしていてもおかしくないはずなのではないか。

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関東の田舎というのは、電車に乗って一時間やそこらで東京に行ける田舎だから本物の田舎とは比ぶべくもないのだけど(比べたら本物の田舎に失礼だ)、しかし都会ではないし、郊外とも違うので、田舎と言うほかないのである。

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箱根。行きの電車、適当に東海道線に乗ったら、それが国府津止まりで――というのも私も友人も国府津が小田原より手前だと知らなかったのである――、一旦降りて小田原行きを待つことになった。「停車場の少女」のことがあったので実は少し嬉しかった。小田原駅が「ザ・観光観光観光!」という規模であるのに比べて国府津駅といったら、関東の田舎の普通の駅といった風情だった。

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結局、箱根には武田百合子の『絵葉書のように』を持っていって、夜中にホテルで読み切った。諸事情から友人は一足先に寝込んでしまい、手持ち無沙汰な私は一人で夜更かしした。宿でひっそり本を読む夜もいいもんだと思った。翌日にはロープウェイに乗って芦ノ湖に行った。富士山が雲の切れ間から数瞬だけチラッと見えた。

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誰だお前という相手から馴れ馴れしいリプライをされるとイライラしてしまうのでそもそもTwitterに向いていない。

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いまだBig SurなMacbook AirのOSを勢いでVenturaにアップデートしかけたが、思いとどまった。Big Surっていい名前だね。ブローティガンの小説を思い出して。

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何かしら応募したい時にTwitterアカウントがないと不便だし新しく作るかな〜という思いと、もう全部アカウント消してぇな〜という思いが同居して、春。(もうほとんど初夏ですがな)