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不在

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くだらねえ。

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考えてみると、別にイベントに出なくても本を作ればいいのか。

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小さいノートは、文庫手帳(2025年用)のフリーページで代用できそうだからひとまず買わないことになった。

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数ヶ月ぶりに自分の日記本を手に取ってみたら、こんなこと書いてたっけとびっくりしちゃった。(なぜ数ヶ月ぶりかって、編集の時に嫌というほどにらめっこしたんで読み返す気になんてとてもなれなかったのよ)

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結局最後は、自分がどうするかってことなんだよなあ。

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この世から目を背け、宝石だけを眺めて暮らしてもよい。

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しかしこの世にはクソが溢れているので、新たなクソを一つ増やしたところでみんなすぐ気にしなくなるだろうと考えることもできる。

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小さいノートが欲しい。入手性が安定しているもの。

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まあ、いいとしましょう。

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私の本も含めて現代の素人の日記本なんかクソだよという気持ちはある。

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岸田劉生が日記で「子供(※自分の子供ではない)を続けざまに殴ってしまった」って反省しているのが本当に好き。

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とはいえもう十分やったような気もする。

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人生は真の意味でやり直せない、一度きりなのだから、やらないよりはやった方がいいのではないかとも思える。

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すでに十分、言葉を弄んで安売りして自己愛に浸っているのだから今さらなのか? しかし目下の問題はAmazonブラックフライデーでお得に何かを買うかどうか。

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一億総発信時代(というか実際はもはや数十億総発信時代だろう)と割り切って、「発信」して「つながる」べきなのか。そうでないのか。

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つまり、イヤラシさを飲み込んで覚悟を決めてまた日記本を出すなり日記ブログを始めるなりするか、自分の信じる美学に殉じて沈黙するか、実のところ何ヶ月も迷っている。

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自分の本がご立派だと思っているわけではない、むしろ日記を公開前提で書いて自分で編集して本にして売るってすごくイヤラシイよなあと思っているから、今後どうしようかずっと悩んでいる。

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ただ自分で日記本を作ることにしたら、今まで大して興味のなかった日記文学に興味が湧いた。そういうことがあるから、作るのは面白いんだよなー。

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「荒削りだが熱量に溢れている」といった作品よりも練達の文章や達人技を味わいたい気持ちが近年ますます募っているため、そもそもアマチュアメインの同人誌即売会に私が求めているものがほとんどないのは当然である。そして私としても、文学フリマ東京38にそういうものを期待して参加したわけではない。Webカタログは事前に読み込む方だから、ないのはわかっていた。それでも現代の作品が集う場に参加してみたら興味が湧くかなと思ったのだが、湧かなかった。それだけのことだ。

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文学フリマ東京38(今年の5月開催)についての感想をせっかくなので簡単に書いておくと、
・サークルとしては大成功だった(文学フリマ界?における存在感ゼロの状態で出店したことを考えると本当に奇跡的に良い結果だった)
・イベント自体も賑わっていて活気があってよかった
・個人的にも特にトラブルはなく、つつがなく終えることができた(しいて言えば、予想外に完売してしまったため完売後に訪れてくれた方には申し訳なかった)
・……ということを踏まえた上で、「文学」といっても大正〜せいぜい戦後すぐぐらいの古めの文学を愛好し、現代の作品および書き手にほとんど興味のない私にとっては、手に取ってみたい本は少なく自分のための場ではないと感じた(なお、古めの文学関連の本を出すサークルも存在するしもちろん何冊か買った)
というわけで一冊本を出してだいたい満足したのもあり、「次はないかな」という感想だったが、暇なのでまた出てもいい気もするような面倒なような気もする。