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不在

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ペレックの『さまざまな空間』は今月下旬に出るらしい。A5変形判というのはいいね。

blog 水声社 » Blog Archive » 2月の新刊:さまざまな空間[増補新版]
http://www.suiseisha.net/blog/?p=19395

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さむ死。

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みんなバブルヘッドナースの群れを倒したくてサイレントヒル2リメイクをやるんじゃないんだからコンバット面はそこそこで……と私などは思うのだが、実はみんなバブルヘッドナースの群れを倒したいのだったらどうしよう。

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アイテムを手に入れた時の「ポピ」みたいな音に愛着があるのでどうなるか気になる。

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ヘンリー、ミルドレッド、スコット来るか? と思ってさすがに興奮してしまった。

SILENT HILL 2 – コンバットトレーラー (4K:JP) | KONAMI - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=qQd_HGXK...

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それにしても正岡子規の『仰臥漫録』『墨汁一滴』『病牀六尺』は素晴らしかった。ちょっとした偶然の積み重ねで買い求めたのだったが、逆に言うとちょっと運命が違っていたら子規随筆の豊穣に触れることなくこの先の人生を送っていたかもしれないと思うと空恐ろしいような気持ちがする。

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百貨店に行ったら、恵方巻を買う人ですごい行列ができていた。

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『上司小劍コラム集』という激シブな本を買った。

上司小劍コラム集 - 書籍編集発行所「龜鳴屋」
https://kamenakuya.main.jp/%e4%b8%8a%e5%...

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普通の人(というのは一般的な程度の社交性があり他人と円滑にコミュニケーションを取っているように見える人)ならどう受け答えするのだろうか? と考えながらいちいち会話しているのだがそういう状況はあまり普通ではないらしかった。

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私がどのくらいSNSに疲れてしまったかというと、Twitter(その頃はまだXじゃなかった)でいいねを押したくなった時に「でもここでいいねを押すとこの人は『あ、あの人、いいねしてる』と思うんだな」と思ってそれがなんだか辛く、ある時よりいいねを押さなく(押せなく)しまったぐらい精神的に参った。

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Amazonのタイムセール祭りに付随したポイントアップキャンペーンで本買おうかと思ったが、Amazonは本の梱包がもうダメなんだったなぁ。

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急にPS5でサイレントヒルの短いらしい新作が出た。PS5置き物になってるし今ゲームって気分じゃないしどうしよう。ゲームも楽しいんだけども、人生の残り時間を考えるとゲームより読書に時間を使いたいと思いつつYouTubeを見てしまう。

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カフェって打ちすぎて、ゲシュタルト崩壊してきた。

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本を売っているカフェじゃなくて、持っていった本を読めるカフェ。

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メディアに刷り込まれたイメージによって「おしゃれなカフェで読書」という光景を思い浮かべがちだが、おしゃれなカフェは往々にして小さかったり個人経営だったりするわけで、そういう店でコーヒー一杯とせいぜいケーキ一つでじっくり粘られたら店主は迷惑に思うのではないか。それとも「おしゃれなカフェで読書」は三十分〜一時間ぐらいを想定しており、二時間とか三時間とか読書に打ち込む客は想定していないのか(そんな気がする)。問題は客単価なので、一人で二千円か三千円分ぐらい飲み食いすれば店主もにっこりするだろうか。

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カフェで読書したら捗りそうだけど、カフェに行くのは面倒だから家でカフェしつつ本を読もう、と思ってコンビニでカフェオレか何か買って帰ってきても、カフェオレ片手にネットを見てしまう始末。今カフェって何回言った? もしかしたら、カフェで読書が捗る(イメージがある)のはパソコンなどの気を散らすものがないからなのではないか?

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私は私に書けるような文章は別に読みたくない。

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そもそも、人に見せること前提で書く日記って不純じゃないか? という、より根本的な問題も日記本の制作をためらう大きな理由ではあるのだけれど、込み入った話になりそうだから今は書かない。

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さて実現する見込みも今のところないので、飽きっぽい私がアナログ日記を続けるために温めていた奇策を書いてしまうと、文学フリマにでも申し込んで日記を本にして売ってしまえばいいと思っていたのである。今では個人出版(と言うべきなのか、同人誌と言っていいのか、はたまたZINEと呼ぶべきなのかわからないが)の日記本というのはかなりの数が出ているらしい。つまり文学フリマの片隅にどこの馬の骨だかわからん人のしょうもない読書日記が並んでいても全くおかしくはないし、日記を書くために文学フリマで本を出すという策もあながち狂人の妄想ではない。その日記本が十冊とか何十冊とか売れる光景を想像しているなら無謀だが……。
さすがに私も自分の日記が十冊どころか二冊も売れるとは思っていない。なんなら一冊も売れない。だが、イベントに参加するならば、せめて一冊は巣立ってほしい。そのためにはやはり、事前の宣伝が必要である。すると、SNSなり、ブログなりの拠点が欲しいということになる。しかし、私はそもそもそういったネット空間の雰囲気についていけず脱落したのだから、本を売るために再び参入するのは本末転倒である。ということは事前の宣伝一切なしで、本物の馬の骨として日記本を出すしかないのか。文学フリマのWebカタログを隅から隅まで読んで日記本なら一冊も漏らさずに買うと心に決めている奇特な人でもいない限り、私の本が売れることはなさそうだ。だったら、別にイベントに参加しなくてもいい気がする。参加するだけでお金がかかるし、なんといっても本を作るのは大変だし……。
というわけで、今のところ奇策が実現する見込みはない。文学フリマにも特に申し込んでいない。アナログ日記はなんだかんだ習慣になって自然と続いている。そういう次第である。