RSSフィード

不在

edit

「去年マリエンバートで」のタイトルが思い出せない夢を見た。夢の中で、曖昧な記憶をたぐって、Googleで検索しようとするのだけど、良い結果をヒットさせるだけの情報すら思い出せない。「ほら、劇中であの曲が流れていた……」と思い出そうとするとちゃんと「グノシエンヌ」の旋律を思い浮かべることができて少し安心する(しかし実はグノシエンヌはこの映画に何の関係もない、グノシエンヌが流れるのはルイ・マルの「鬼火」)。
起きたらもちろん映画のタイトルをすぐに思い出してホッとした。しかし、何より素晴らしいのは、「去年マリエンバートで」は夢から取り出して現実の日に当ててもいささかも色褪せない作品であるところだ。

edit

怪奇探偵といえば、たしか、ブラックウッドによる誰それ氏のシリーズものがKindleで買ってあったはず……と調べたら、思い浮かべていたのはブラックウッドではなくホジスンの『幽霊狩人カーナッキの事件簿』(絶版だがKindleなら購入可能)で、こちらはまだ購入しておらず、ブラックウッドの怪奇探偵ものは『妖怪博士ジョン・サイレンス』で、これはAmazonにアクセスしたらあなたは2021年12月に注文済みですよと言われた。

edit

そして、今は「ああ、面白かった!」という話も時が経つと「あれどこで読んだ何だっけ」となってしまうので、短編はちゃんとメモしておきたい。

edit

気分が優れない中、『幻想と怪奇11 ウィアード・ヒーローズ』からいくつか読んだ。先日買ったばかりで(そして全くの手つかずで)たまたまそばにあったからだが、ヒーローが悪を打ち倒す話を読むのはなかなか気分のためによかったようだ。ヒーロー(怪奇探偵)が悪(謎や実際に怪異であったりする)を退ける「妖魔と探偵」の章から3つ。『グランダンの怪奇事件簿』が欲しくなった。

edit

どうも今日は気持ちが浮ついて一つのことに集中できない。

edit

万年筆は色々と紫や赤のインクなども買ったが、普段遣いしやすいのは結局ブルーブラックや山栗(色彩雫)、カーボンブラックだなあ。

edit

センチュリー#3776にカーボンブラックを入れてみたいんだけども、カーボンブラックは詰まらせたら終わり(本当に万年筆自体壊れる)という可能性があって踏ん切りがつかない。

edit

パラソルチョコって、今でもあるんだ。

edit

Wikipediaに学問の一覧があった。宗教学や人類学も面白そう。工学なんかは、門外漢が座学で本だけ読んでもしょうがなさそうな気がするが……面白い本が全くないということもないだろうが……。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%A6%...

edit

だんだんと美学や言語哲学といった分野が、非常におぼろげではあるけれども、自分の中で一定の連続性のある領域として少しずつ形を取ってきた。と同時に、また全然知らない分野の本を読んでわけがわからなくなったり、眠くなったりしたいという気持ちが芽生えてきた。全然知らない分野。なんだろうな。どうしても興味を持てない歴史関連などいいかもしれない(講談社学術文庫の『近代ヨーロッパへの道』は面白かった)。あとは社会学とかかなあ。

edit

とにかくまずは読もうということで読んできたが(しかし「読みまくる」には全然遠いが)、そろそろ読書ノートをつけてもいいかも。

edit

今読んでいるものと毛色の違う本が読みたい気分ということで『日本語のメタファー』を読み始める。認知言語学の専門書寄りの本。

edit

ふと「気難しい」を辞書で引いてみたら、大辞林は「独特の考え方や感受性をもっていて扱いにくい。」と簡潔で中立的なのに対して、新明解国語辞典は「自分の意に添わなければちょっとしたことにもすぐ不快感をあらわにすることが多く、接するのに神経を使う様子だ。」とひどい言いようだった(わかるけれども)。
三省堂国語辞典は「どういう気持ちでいるかが わからなくて、あつかいにくい。なかなか満足しないで、きげんがとりにくい。」。精選日本国語大辞典は「自我が強く神経質で、容易に人に同調しない。」。大辞林の「独特の考え方や感受性をもっていて……」というのはなかなか優しい見方であるようだ。

edit

嫌いなものを表明することにあまりポジティブな効果はないだろうが、嫌いなものについてなぜ嫌いなのか言語化する(そしてできれば実際に文章にする)ことには、その感情を相対化させて見直させる効果がありうるのではないか?

edit

部屋に十分なスペースがあったらフィットネスバイクを置くのにと思う。でも置いても結局すぐ飽きるかもしれないな……。

edit

GRD4の中には2014年の写真が入っていたから、多分この年を最後に使わなくなったのだろう。

edit

とはいえ、結局のところは好き嫌いの問題に過ぎない。

edit

ユーモアも時には必要だが、「ここがユーモラスなポイントですよ」なんて大書したようなお寒い「ユーモア」ならない方が良い。

edit

しかし、専門家の人はその分野の専門家ではあっても、笑いの専門家ではないのだから、読者としては大目に見てあげるのがよいのだろう。

edit

日本のポピュラー・サイエンス(ここでは人文科学も含む)を扱った本でたまに見かける、専門家の著者が一般読者に対して親しみやすい文章にしようと心がけるあまり生まれる軽薄な「ユーモアのある語り口」が大嫌いで、読むといらいらしてしまう。外国語から日本語に翻訳されてやや硬い調子になってしまったユーモアの方が好ましいとすら感じる(原語では軽薄に感じられるような文章である可能性もあるが)。
あまり狭量ではいけないと思うものの、とにかく嫌いなものは嫌いでいらいらしてしまうのである。